坪能 克裕 公式ウェブサイト Ⅲ(2001〜)

Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

残酷暑お見舞い

 暦の上では「立秋」を過ぎました。しかしこの暑さ。猛暑を超え、酷暑を超え、今年は本ページを訪問くださったみなさまに「残酷暑お見舞い」を申し上げます。そしてご自愛願います。

 作曲家 作曲しなけりゃ ただの馬鹿 ・・・だそうです
 社会からの需要が無くても、自分の内的な要求からか、ただの馬鹿で無い方がいいと思ってか、連日暑くても作曲し続けています。作曲している時が一番幸せなように感じます。

 「後期高齢者」という区分けだか差別だか分からない、有り難くも失礼な言葉があります。私なりの解釈では、還暦を過ぎたら、定年退職したら「第二青春期」、75才を超えたら「第三青春期」だと思っています。残念ながら肉体は衰えて行きますが、精神が萎えているわけではありません。これまでとは異なる青春時代をみなさまも謳歌願います。

 音楽活動でも、一般の生活でも、この第三期が重要で大変です。音楽でもテーマがあり、その「展開部」があり、そして「コーダ(終結部)」があります。名曲のコーダだけ調べても面白い出会いがあります。意外な展開もあり、意思とは異なる環境に身を置くこともあるでしょう。過去の話題ではなく、新たに自分で創れるところまで努力して、何かを生み出して行きたいと思っています。

みんなが主役の歌符

主役が最初から最後まで輝く作品例が多い。トップメロディーを任される人のいる団体が成功すると思われている。
児童合唱団を引受けた時、一番可愛く見える旧来の少女雑誌の表紙のようなデモを撮影してきて「この子から売り出したい」と提案してきたのには驚かされた。合唱はいろいろな声が生かされて団体の個性が出るのに、初手から考え違いをしていたひとがいた。

 アマチュア・オーケストラでブラームスの音楽に人気があるのは、それぞれの楽器が主役になれる時間があるからだ。「みんなが主役」を実践させている。この精神がどんな仕事にも必要で、それが出来てこそみんなが輝くのだと思って私は作品の中でも実践してきた。

 混声合唱組曲「エイシア」(片岡 煇詩)のなかでは「エイシア」が、主旋律をソプラノからアルト、テナー・バスと歌い継いでいく。誰もが主役のメロディーを歌い継いでいけるようになっている。それは子どもの合唱曲「蝶の谷」でも同じだ。
 様々な人びとが主役になる。それをみんながサポートし合う。私の生き方だった。

懸賞論文から

 「坪能克裕とその周辺のこと」という文章が「音楽芸術」に載った。76年に音楽之友社・創立35周記念で、管弦楽曲と論文を公募し、その論文部門の一位になったもので、当時の都立目黒高校の生徒が応募した作品だった。

 70年代前半、前衛音楽の嵐が日本の作曲界にも噴いていた。その頃、私は音大生から卒業したての時で、創造と破壊の狭間で暴れていた。怖いものなど無かった若造の時代で、その狭間を鋭く突いていた。だから誉められた内容ではなく、いま展開されている現代音楽に問題が無いのかどうか、坪能たちの若い作曲家はこれでいいのか、疑問を呈していた。高校生としては破格の分析と論調に、今でも圧倒される文章だった。審査員が推挙するだけの説得力があった。
 私はあるがママ受け止めていたが、日本の音楽界では拙作の内容とは別に、エラく私が(悪役で)有名になってしまった感があった。

 その後の「坪能克裕とその周辺がどうなったか」については、誰も語っていない。私が正当化する問題でもないから、多くの人びとは現代音楽での活動は知られないママだ。「領域の拡大」を展開して、現代音楽が一般のひとや子どもにも、学校や文化施設から社会の様ざまな団体とも結びつき拡がっていく構造を作り展開させたが、自慢する内容では無いと思っていた。

 その文章から40年経ち、日本現代音楽協会(当時の会長が坪能)で新年会が開催された。祝辞を国立音楽大学の事務長さんから頂いた。そこでは70年代前半の私の狼藉を知っていて「アレで音楽だと思っていたのか」問われる内容に、私は顔から火を吹いたのを覚えた。優しい祝辞だったが、強烈で過去の犯罪は消えないのだと思った。

ニセ情報

 「ネットの何処を探しても、 Wikipedia にも出ていないんですよね」。言い換えると「あなたは有名(一流)ではないんですねェ」と島田の方の校長先生に言われたことがあった。
一流かどうかが問題ではなく、事実と異なることが時々書かれていたので、出ていないことに感謝している。拙作も私の知らないうちにネットに流されていたので、私のことは私の言葉で書いておこうと思ったからだ。それは以前も記したが、2001年にWebサイトを立ち上げた最大の理由がそれだった。
 一度ネットに載ると、間違った情報は消え難いのである。 Wikipediaでも同様だ。今も載らないことが嬉しい。

 「いちにのさんすう」という NHK教育TVで’ 75年頃から約20年間放映された、小学1年生向けの番組があった。多くの子どもさんがタイトル・メロディー(スキャット)を口ずさんで授業を楽しんでくださったようだ。
 コメントからは、作曲(故) H・健太郎、歌は H・美都子だと記されているが、実際は坪能克裕作曲編曲・大杉久美子のスキャットだ。著作権等の正式資料は間違いないが、ネットに一度載ると間違いでも正しいように一人歩きしていくことが不気味だ。もっとも、もう少し経つと、時代の金字塔を建てた以外の人物や作品は、時間の隙間から放逐されるだろうから気にしなくてもいいのかも知れない。


「いちにのさんすう」

YouTube

https://youtu.be/Ca0WPvMuX-I

顔音痴②

 顔音痴、顔認識の甘い物語を上げる。それは「変相」ものだ。七つの顔を持つ男や七変化、二十面相などの映画が昔からあった。
 ひとは同じ顔でも、帽子を被る、髭を生やす(付ける)、髪型を変える、覆面をする、などの変相で、誰からも見破られないと私は思っていた。そう、メガネをかけただけでスーパーマンと気が付かなくなるのだと信じていた。町人でも奉行でも入れ墨を見せるまで悟られないし、声や体格が同じでも顔のメイクで誰からも判られないのだと思っていた。

 子どもの頃から私は良く人を違えていた。何から何まで Aさんに似ていた。自信を持ってポンと肩を叩いたら、全然知らないひとだった。
 ある時、電車に乗っていたら昔の高校の B先生に会った気がして・・・何度も確認して声を掛けたが、違っていた。そのように間違える方が多かったので、以後相手が私に気が付き、声を掛けてくれるまで黙っていることにした。

 コンプレックスは他人に言えないから悩むのであって、みんなに言える段階のものはコンプレックスとは言わないだろう。顔認識の努力は人知れずしてきたが、どうしても治らなかった。髪型やメイクを変えたようなレベルから顔の判別が不能となるから、私にとっては大変なバトルだった。

 バッタリ友人・知人・後輩(学生)に逢う。すると誰だか?数秒思い出すのに時間がかかる。この一秒前後の「間」であっても“信頼”が失われる・・・「私を忘れたの?」「偉そうな態度」「アンタ何様」と相手は冷たい目に変わる。そしてその場は何とか繕っても、信頼が無くなり、友だちを失った瞬間を何度も経験することになった。半世紀ぶりに会った従姉妹も思い出せず「どちら様ですか?」と聞いてしまった。
 友人だけでなく、混雑した場所でワイフと待ち合わせた。「さっきから顔を合わせても行ったり来たりして私を見つけられない。どうなっているの?」と叱られたことが度々あった。
 前述したが、顔認識はコミュニケーションの基だ。第一歩が欠落しているひとに文化芸術の才能はない、と言われればその通りだったかも知れない。秘密だったが重大な欠陥で、努力の甲斐もなくその悩みは消えないママ歳をとってしまった。

顔音痴①

 ひとは様ざまな音痴を知っている。歌うと下手なひともいるが、脳に問題がある以外、音痴だと胸を張ったり悩んだりする必要は無いそうだ。
 方向音痴というひともいる。痴呆症では無いので、自宅には帰って来られるようだが、案内図を見ても何度ひとから道を教わっても、方向が判断出来ず辿り着かない人もいる。

 「顔音痴」というのがある。努力しても人びとの顔の判断が出来難いことだ。音符の記憶に特技があるためか、音楽家でひとの顔判断に自信のないひとは結構いる。
 顔認識はコミュニケーションの基であり、人びとはそこから社会で生かされることになっている。だからそこが欠落していると、才能も何もあったものではないのだ。
 
 学校の先生は子どもの顔をいち早く覚える。卒業後も正確に顔を記憶している。顔と名前を覚えたら、性格が分かり、得意な才能も発見し生かせるようになる。子どもからしたら、顔や名前を覚えてくれない、ということは悲劇に等しいことだ。
 顔判断が鋭いことは、警察官もそうだし、接客商売には欠かせない才能だ。何度顔を合わせても初めて会ったような素振りでは、人びととの信頼関係は生まれない。

 (失礼ながら)大した才能が無いと思われたひとでも、顔認識が長けているとコミュニケーションが拡がり、仲間づくりから才能が生かされてくることが多かった。だから顔認識が得意であることは、もうその道の天才を授かっているようなものなのだ。

三日目の辞表

 新人社員が三日目には辞表を出して辞めていく。
 面接だけでは分からない勤務先の様ざまな価値観に遭遇するには、二三日は掛かるからだ。人が集まると、様ざまなハラスメントが待っているのが常だ。自分の才能を生かされるかではなく、誰が自分を護ってくれるかの判断は、外からでは分からないものだ。ピンときたら逃げるのも大切なことだと思う。

 「学校を一つあげるから、好きなようにやってくれ」という誘いを学校の旧理事長から受けたことがあった。全面的なサポートを学校内外から人的にも経済的にもする、という話だったので引き受けざるを得なかった。
 入ったら、在職者の心は荒廃していて、伝えられる情報はデタラメで、私を招聘した先生は豹変して高圧的な態度になった。誰を、何を信じていいのか分からなかった。そこで急遽、経営や法律の専門家に学内資料を調べて貰ったら、何かあった時に私を護ってくれる文言が何処にも無いことが分かった。「逃げるが勝ちだ」と判断して、三日目に辞表を提出した。
 旧経営者の態度は一変した。なだめられ、一旦は継続することにしたが、長居は無用という判断は曲げなかった。その時までに、社会の中の学校、経営の秘密、音楽家の学校との関係、未来の音楽家や教育問題など、テーマを決めて体得することにした。それはその後役立つことになったが、この時期の様ざまなアクシデントは、仲間・先輩・後輩との優れた信頼関係にヒビが入ったなどの損失は大きかった。

訃報の年輪

 長いこと生きていると、多くの人びととの出会いと別れがある。そして、誰にも知られないうちに亡くなったひともいる。
樋口 昭(元埼玉大学教授)先生は「私が作曲家になりたい」という時、ゼロから教えてくれた恩人だった。そのご両親にも私はお世話になったが、随分前に亡くなられていた。樋口先生は独身のママ暮らしておられたので「孤独死」だった。どうやら通常の葬儀も行われず今日まで来てしまったようなので、私は近々追悼音楽葬をお寺で、演奏家と私と二三名の参加者で菩提を弔いたいと思っている。

恩師や先輩諸氏の訃報に触れる機会が多くなった。悲しいことだが、若くして亡くなられるひとの訃報は辛いものがある・・・末期癌だと本人も承知していた。でも演奏会の本番はキリッとした名演で、誰もピアニストの彼女が病身だとは知らなかった。
三月の紀尾井ホールでの私たちの演奏会から一ヶ月後に亡くなられた。プロの生き様だと思った。「飛澤直子」さん、のご冥福を祈っているところだ。

霊感・占い

 霊感の強い人が時々いる。普通の街のおばさん(失礼!)が様々な事例を当てたり、予言を的中させたりした人も知っていた。ひとは一つ言い当てられると、その人を信用するクセがあるようだ。私に対しては依頼者の聞きたいことが当たったこともあれば、外れたこともあった。普通は見えないことを言える優れたひとは、分かっても言わないかもしれない。

 子どもの時に、普段見えないものが見えたり、聴こえたり、不思議な現象に遭うひとはいるようだ。何の訓練もしなくても、第六感や“胸騒ぎ”を体験するひとは多いいようだ。私も不思議な体験を数多くした。霊(いや、例)を挙げるとキリがないほどあった。

 多数の本を出していた有名なタロット占い、星占いの先生が、昔お酒を飲みながら私に言ったことがあった。占いは何千年かの人間の知恵であるけれど、半分しか当たらない。残りは経験や閃きで判断するが、相談者の努力で変わってしまうことが多い、ということだった。予言より、本人の努力が勝る、というところが大いに気に入っていた。

音楽の理解

 ジャンルにもよるし、好き嫌いはあるものの、ひとはいい音楽(や歌)を嗅ぎ分ける能力を鋭く持っている。シャウトしている言葉から理解しているだけではない。その作品の持つ全てを理解しているようだ。だから過去のヒット曲やヒット歌手には凄い力がある。
 クラシック音楽や現代音楽でも、ひとの鼻(耳)は鋭く嗅ぎ分けている。ただ理解するための手続きが面倒なだけだ。その基はポップスと同じだとは言わない。しかし「分かる」ということは理屈を超えて人々を魅了させるから凄いと思っている。

 音楽の「理解」はひと様々だし、勉強の段階でもレヴェルに応じても異なってくるようだ。ベートーヴェンの作品も、何も知らないで聴いた時と、音楽の勉強したての頃と、専門的に指導を受けた頃と、熟年になって再度勉強した頃と、歳をとった今とでは、同じ作品でも違った感動がある。名曲という世界遺産にはそれだけの力があるということだ。
 私の指揮の先生は、弟子が理解したグレードに合わせて指導して下さっていた。だからこれ以上の勉強は出来ない、というラインまで努力して見て貰うと、猛烈な世界に誘ってくれていた。それだけ一つの音楽でも奥が深いということだろう。

 オリジナルは、情報の渦から一つ触れるものがあるかどうかだと思っている。それで「あれも知っている。こんなことは他の人は知らない」という知識の持ち主もいる。それを超えて新しい価値を生み出すのは大変なことだ。
 現代音楽の仕組みの様々な手を知っていると、作り方から、何を言いたいか、どんな手順で盛り上げていきたいか聴いただけでネタバレすること良くある。何だ、意外にツマンナイ音楽だな、と思ってしまう作品も多い。それもこれもたくさん聴いていると誰にでも分かることだろうし、人びとの鼻や耳の怖さが身に染みて来ているのも私は実感することが多い。

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