主役が最初から最後まで輝く作品例が多い。トップメロディーを任される人のいる団体が成功すると思われている。
児童合唱団を引受けた時、一番可愛く見える旧来の少女雑誌の表紙のようなデモを撮影してきて「この子から売り出したい」と提案してきたのには驚かされた。合唱はいろいろな声が生かされて団体の個性が出るのに、初手から考え違いをしていたひとがいた。

 アマチュア・オーケストラでブラームスの音楽に人気があるのは、それぞれの楽器が主役になれる時間があるからだ。「みんなが主役」を実践させている。この精神がどんな仕事にも必要で、それが出来てこそみんなが輝くのだと思って私は作品の中でも実践してきた。

 混声合唱組曲「エイシア」(片岡 煇詩)のなかでは「エイシア」が、主旋律をソプラノからアルト、テナー・バスと歌い継いでいく。誰もが主役のメロディーを歌い継いでいけるようになっている。それは子どもの合唱曲「蝶の谷」でも同じだ。
 様々な人びとが主役になる。それをみんながサポートし合う。私の生き方だった。