昭和の時代、1960年頃に早大の教授夫妻が企画した「サロンコンサート」が話題になった。音楽のあるサロンでの社交の場でもあった。しかも鹿鳴館の交流とは違った、音楽による仲間同士の広場を提供していたようだ。
そのひろばに音楽を社会で活かし合う原点があったように私は思った。
リサイタルと称して、何十、何百人も集めなくていい。少ない人数でも、音楽を聴き、仲間と語り合う一時を持つ。その流れから、人びとがつながっていくからだ。
音楽家がサロンや何処か開放的な空間で演奏する機会はこの頃増えた。駅やホテル、文化施設のロビー、公共施設の一角など、地域に合った小さなコンサートが増えてきた。ポップスの路上演奏会は昔からあった。クラシック音楽が「聴かせる」音楽から、聴衆と「つくり合える」手立てを講じていれば、もっと身近になっただろうが、どうしても「聴かせたい」訓練を受けてきた人びとには、音楽を生かした社会での聴衆も参加できる「即興」が入り込む余地はなく、壁が残ってきてしまったようだ。
突然、音楽に参加しろ、と言っても無理なことだ。誰でも情報や経験がないと提案にはのれないものだから。そこで小学校などで「音楽づくり」などの機会や時間がある。そこから音楽家が自分の世界に誘える創造の場への機会や提案があれば、音楽家がもっとこの種の「ひろば」から文化の創造へとつながって行っただろうに、と私は思ってきた。