音楽がメインのイベントに絞っての話題・・・もう十数年前から町なかで突然音楽の演奏に出逢う機会が生まれた。公共の広場で、大通りで、アーケードで、一人が音を出すと次第に人びとが楽器を持って集まり音楽が始まり、例えばラストは合唱も加わってベートーヴェンの「第九」になる、というイベントだ。

 ここには重要な二つの異なる世界がある。
 一つは、音楽の始原の素晴らしさだ。一人の行為が人びとの共感を呼び、多くの人びとと輪をつくり一体化し、世界を共有する。何と素晴らしいことか。
 もう一つは、「第九」を例にとってもいいが、指揮者が出て来て広場がステージになってしまう「企画」(事業)。結局は演じる側と聴く側を分けて、誰かが音頭をとってまとめたことになる。アンサンブルは聴き合い、息を合わせて表現するものだが、結局はステージの野外版で、意外性や出前のサービスを除くと、二回目からは驚きもなく、広場の人びとはイベント自体の賛否に分かれるかもしれない。

 1970年前後は、前衛音楽の宝庫だったと思われる。偶然性や音楽の限界を問いながら表現していた人びとが多かった・・・70年、私たちの仲間は学生食堂に散らばって座り、時間と共に自分たちで決めたリズムや音程で一つのフレーズを繰り返しながらアンサンブル。そして規定時間を使い果たすと退席する、という音楽を発表した。人数は十人ほどで、楽器は固めの「センベイ」で演奏(かじる)・・・其処彼処で「パリッ」「カキッ」。そのうちに食堂中がバリバリ、ボリボリ、パリパリ。騒音に聞こえた人びとと、センベイの強烈なニオイで、食堂のおばさんたちに追い出されたが、参加者と一部の聴いた人は満足感で満腹になった。