自分たちの住む町には文化芸術に優れた人が必ずいる。その人びとと出逢い次世代の文化育成の種を蒔く、というのが私の文化事業の理念であった。
文化事業のサポートで私は全国の公立文化施設にお邪魔してきた。どこの会館でも最初に職員のみなさんにお尋ねすることは「この町のひとを含めた文化的な財産は?」ということだった。普段気が付かない優れた町や村の文化財や、若い文化芸術に秀でたひとは潜在的に結構いるものだ。一人の存在を発見すると、世界の友まで田舎でも文化施設がつながることもあるからだ。以前にも述べたが「ここにもある企画、ここにしかない企画」の両輪が生きてくるのだ。
注意しなければいけないことは、地元で教室などを持っている事業には触れないこと、地域で邑をつくっているボスではないひとの参加が大切だ、ということだった。しかし依頼者が私にサポートを期待した多くは、一流人への人脈づくりであり、国内外の一流団体やソリストやTV番組などが少しでも安く誘致できる手だてだった。買い物による鑑賞企画は、世界の超一流団体でも資金があれば何時でも何処でも誰でも叶う話なので、文化の種蒔き企画を拡げる事業とのミゾは大きかったように感じた。
私が最初に市民文化会館の文化事業を仕事としてご紹介していただいた時も、最大の願望はクラシック音楽の充実にあったようだが、その基礎を市民と共に築き、文化的な自立から世界の異なる文化の価値観と交流する、というアイディアには失望させてしまったひともいたようだった。