学校と連携した文化事業に対して、結局私は十分な成果を上げられなかった。
文化施設は教育の場では無い。学校とは違う。しかし柔らかな「社会教育」のひろばとして愛されてきた。公民館、文化会館と、それぞれに成果は上げてきていた。合唱だって、ブラスやオーケストラだって、日本の伝統文化でも実績は大きいし、誰も不満に思っている人はいない。
「つくる」ということが大変だ。過去を保持すれば生まれるというものでもないし、破壊すればいいわけでもない。そんなに創造性を人々が求めているわけでもないだろが、文化を守るということはアグレッシブルな姿勢も必要だ。それを考えると億劫になることもあるが、学校の成果を一段高めるには文化施設の創造の場への開放が必要なのだ。その手立てがありながら、鹿鳴館時代の延長文化を追従しているところには、目が行き届かない現実がある。もったいないとも思いながらも私には限界があった。やり残してしまった感がある。しかし誰かがこれをクリアし、育ててくれるように思えるが、もう少し時間が必要かもしれない。次世代に期待したい!