一時期、放送やレコーディングのスタジオで、自作の劇音楽や他者の編曲作品などのオーケストラ曲を多数指揮していたことがあった。メンバーは在京のオーケストラからの選抜チームで、各楽器の名人が集まっていた。
 一曲に付き、楽譜のチェック用の音出し、テスト録音、そして本番の順だ。録音を確認して、事故がなければそれで OKが出て、次の曲に進んで行く。
 スタジオは室料と楽員の演奏料、技術料だけでも1時間数万円、人数によっては数十万円掛かるから、手際よく高品質でまとめて行かなければならない。

 そんなスタジオ仕事をしていたら、「指揮者になったら?」「在京オケのステージも務まるぞ!」というお褒めの言葉を何回かいただいた。褒めなれたことの少ない人は狂喜乱舞するかもしれないが、これだけは笑って応えなかった。

 指揮者が務まる人は指揮者になるべくして生まれて来ているように思っていた。音楽の様ざまな能力を持っているだけでなく、存在だけで音楽により人をとりこにさせる「華」がある。一緒に音楽をしたいオーラに包まれている・・・凄い力を醸し出してくるのだ。そんな力は私には無い。スタジオでの限られた条件のなかならみんなで創る作業はできるが、多くのファンに囲まれて輝けるのは、宇宙人とも会話できる一握りのひとだけだと思っていた。
 現在、多くの若手指揮者の活躍を見聞していると、惨憺たる有様になっていない自分を褒めてあげたいと思っている。