Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

月: 2021年4月

「百姓っぺ」の文化芸術

 「百姓っぺ(ひゃくしょうっぺ)」とさげすまされることが、子どもの頃イヤだった。確かに酪農家のように、牛や鶏から、穀物、野菜と、自給自足に加え生産物を売って生活していた。だから私は子ども時代から農家の手伝いは何でもしていた。土を耕し、タネを蒔き、自然や動植物の畏れや感謝と共に暮らしていた。
 経理の専門家で公務員夫婦が戦後、土も触ったことが無いのに突然原野を開拓して百姓になった。しかし地元の子どもと何としても仲良くなれず、からかわれることが苦痛だった。ホワイトカラーの家族にあこがれていた。

 音楽を突然始めた。それも「つくる」ことを選んだ。その後音楽のプロデュースや文化事業の仕事にも従事させていただいて、みんなでつくることも実行して来た。世界の文化財、一流芸術や優れた人びとの智恵に少しでも触れることは素晴らしいことだと思っているが、基本は自分たちでタネを蒔き、育て、その価値観と他の異なる価値観の交換から全ては始まる、ということではないかと思ってきた。でもその「耕すこと」ってカルチャーの基本ですよね。ということは、私は本格的な百姓をず〜ッと続けてきたということになる。

 ドン百姓、という言葉もある。江戸時代ではないのだ。今ではドンと太鼓で打ち上げて貰えるような最高の褒め言葉のように思えるのだ。故に私は「百姓ッペ」と呼ばれた方が晴れがましく自然なような気がしている。

Simple is the best

 ベートーヴェンの「第九」。一楽章から三楽章まで優れた音楽が展開していく。そして第四楽章で、それまでの音楽を否定して「この音楽がいい」と低弦(コントラバス)で歌い始め、全奏者で謳歌し、それをソロと合唱で拡げて行く。
実にシンプルなメロディーで、誰もが一度で覚えて歌えるメロディーである。

「上を向いて歩こう」という歌が全米でも大ヒットしたことがあり、現代でも名曲として多くの人びとに歌い継がれている。ジャズをピアノで弾いても凄腕の作曲家・故中村八大氏の作曲だったが、何てシンプルなメロディーだろう。初めて聴いた時、私は何故か生意気にも「やられた」と思った。

 最近のポップスで複雑に聞こえる歌でも、実にシンプルなフレーズの繰り返しをしている歌が多い。そのシンプルな素材は、しかしどれも同じでなく差異性があるから新しい世界を聴かせて貰うことができる。その新しさをシンプルに受け止めて人びとは歌いつないで行く。

 シンプルな素材は可能性をふくらませて幾らでも複雑にすることはできるが、複雑な素材はシンプルにすることは難しい。
 古今東西のクラシックの名曲の多くは、シンプルなテーマの組み立てが多い。民族音楽でも同じようなことが言える。
  Simple is the best だと思う。

宇宙からの電子音楽

 「コスモス200」という電子音楽を創ったことがあった。それはNHKの放送技術と野辺山電波観測所のご協力で、 84年に NHKで製作し放送初演された。
 
 音源はホワイトノイズを切り貼りして組み合わせだけでした。シンセサイザーの鍵盤で創った音とはかなり違っている。音楽の内容は、星空を夕方から翌日の明け方までの12時間に固定した窓枠から見える星たちをそのママ音で一つ一つ再現し、満天の星が輝いた世界を表現したものでした。
 星には地球からの距離や星自体の温度などそれぞれに個性があり、その星たちのデータを数値化した資料から蘇らせたものでした。
 各星は自転で発するパルサーが異なり、近くの星は ブルルルル、とオートバイのような音になり、遠くの星はチコン チコン と間遠になり、様々な音が響き合っていました。

 80年代の後半から十年程、小学1年生の音楽の教科書(教育芸術社)に「星の音楽を聴いてみよう」という副教材として載っていました。それを教室でレコード鑑賞された子どもさんも極少ないけどいたはずです。もう社会に出て中堅の輝かしいお仕事をされている歳でしょう。その音楽を覚えていたら、その時の感想を聞いてみたいものです。

 原盤は NHKで、その保管はレコード会社に依頼しましたが、その後行方不明になってしまい、現在では幻の音源と言われています。唯一教科書に準拠したハイライト版の原盤が残っていて、それで原作の壮大な星たちの歌声の一部をかろうじて聴くことができるのです。

宮本む○し

  JR西明石駅の商店街に「宮本む○し」という定食屋さんがあります。初めての町を何の目的も無くフラリと降りて出逢ったお店です。そして名前を見た瞬間に「面白い」という思いと「宮本武蔵」というイメージが同時に重なりました。しかし自宅に帰ってきて、宮本むさしではなく、何だったか思い出せなくなりました。すると、む○しの○に様々な文字が浮かんできて・・・むいし、むかし、むりし、むなし〜・・・「拙者、宮本むこしである」という映画のシーンを想い浮かべるとヘンだし、「宮本むごし」となると意味が変わってくる、など文字の組み替えを暫し楽しみました。そのうちに「宮本○さし」だったか記憶が怪しくなってきました。宮本くさし、ではなかったようだし、など連想は続いていきました。

 そういえば「佐々木小次郎」を「ささき しょうじろう」と読んだひとがいました。剣豪「こじろう」とは随分イメージが違って、昔の近所のおじさんを思い出す名前になったようでした。
 (文中の例に正解があります)