「百姓っぺ(ひゃくしょうっぺ)」とさげすまされることが、子どもの頃イヤだった。確かに酪農家のように、牛や鶏から、穀物、野菜と、自給自足に加え生産物を売って生活していた。だから私は子ども時代から農家の手伝いは何でもしていた。土を耕し、タネを蒔き、自然や動植物の畏れや感謝と共に暮らしていた。
経理の専門家で公務員夫婦が戦後、土も触ったことが無いのに突然原野を開拓して百姓になった。しかし地元の子どもと何としても仲良くなれず、からかわれることが苦痛だった。ホワイトカラーの家族にあこがれていた。
音楽を突然始めた。それも「つくる」ことを選んだ。その後音楽のプロデュースや文化事業の仕事にも従事させていただいて、みんなでつくることも実行して来た。世界の文化財、一流芸術や優れた人びとの智恵に少しでも触れることは素晴らしいことだと思っているが、基本は自分たちでタネを蒔き、育て、その価値観と他の異なる価値観の交換から全ては始まる、ということではないかと思ってきた。でもその「耕すこと」ってカルチャーの基本ですよね。ということは、私は本格的な百姓をず〜ッと続けてきたということになる。
ドン百姓、という言葉もある。江戸時代ではないのだ。今ではドンと太鼓で打ち上げて貰えるような最高の褒め言葉のように思えるのだ。故に私は「百姓ッペ」と呼ばれた方が晴れがましく自然なような気がしている。