Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

月: 2022年8月

お知らせ

 

 音符が書けない自己流【はな歌】でも公募できます。

 マザーアース社で歌の公募を開始しました。あなたも挑戦してみませんか?
 いくつかの部門がありますが、坪能が審査にも参加している要項を抜粋しました。

募集要項

目的
だれでも楽しめる歌、おもしろい歌、新しい歌を募集いたします。

演奏対象
だれでも口ずさめる歌。 応募資格:世界中からどなたでもご応募いただけます。

作品形態
歌っている動画(伴奏自由)。非公開動画(指定のサイトに動画をアップし ていただきます)。未公開のオリジナル作品のみ応募可能です。編曲作品やかえ歌は応 募不可とします。動画配信に不適当と判断された映像や内容は失格とします。

  • 本人歌唱でなくても良い
  • 無伴奏のメロディーだけでも良い
  • 希望楽器の伴奏で歌っても良い ・歌唱者がメインの動画でも、歌唱者の映らない風景でも、創作アニメなどと一緒でも良い

演奏時間
3分以内

参加費
2,000 円


推薦スタンプ!付き公開 10 曲。賞金:(各1曲 5,000 円)

副賞
推薦スタンプ作品集への掲載出版。
募集趣旨や出版•作品普及のために、編曲・ 補作される場合がありますので編曲・補作を許諾了承する作品を応募してください(著 作権は出版社マザーアースとの契約になります)。
翌年以降に実施予定の、スタンプ作 品の最優秀作品賞への応募が可能になります。

審査基準
多くの人びとが一回聞いたらすぐに歌える楽しい歌に「推薦スタンプ」進呈! し公開します。スタンプ受領作品は、次年度以降の企画に優先的に推薦されます。

推薦スタンプ選考委員
坪能克裕、中西覚、丸山貴幸、丸山夏季、橘治霞

注意事項
エロ・グロなど人々が不快に思う動画や、著作権で問題があると審査員が判断した動 画は失格とします。著作権侵害のある作品は、推薦後であっても発覚した場合は、推薦 スタンプを取り消します。(その際の審査料は返金しません。)

締め切り
12 月 10 日

発表方法
2023 年 3月5日東京タワー文化フェスティバル VI にて、発表しま す。
推薦スタンプ作品を You Tube で 2023 年3月 10 日より公開します。

応募方法
1)以下のメールにて応募シートご依頼ください。
E-mail: info@cspc-japan.com
Phone: +81-3-3455-6881
Fax : +81-3-3455-6883

2)規定の応募シートにご入力の上返送し、参加費をお振込の上、オンラインでエントリーください。

打楽器奏者

 打楽器は拙作のなかで、絶えず重要な役割を担ってくれてきた。マリンバを含め、芸術祭や日本レコードアカデミー賞などにも縁があった。

 だから私は演奏者に関して特別な思いが打楽器奏者にあった。しかし痛い目にばかり合わされてきたのも事実だった。

 「音楽づくり」を文化施設の人びとに体験していただき、地域文化振興にも役立てていただきたいと思って実施したことがあった。自分たちで「つくる」「表現する」、その芽を文化育成の原理として役立たせる、という意味で全国大会の別枠で企画していただいた時間を私は受け持った。

 小学校などでの幾つかの失敗を活かすため、音大卒の打楽器チームと打ち合わせをした。初めて打楽器を手にするひとが考えて、叩けて、それを一つのフレーズとしてつくったものを繰り返して、即興で表現していく手立てを徹底してリハーサルを繰り返した。全員分かったような顔をして舞台に登った。

 舞台では打ち合わせとは異質なレッスンが始まっていた。そしてグループに分け「サンバ」のパターンを押し付けていた。全員で舞台はサンバの祭りでも盛り上がって行った。全国に「音楽づくり」の誤解を伝達してしまった。

文化事業のやり残し②

 学校と連携した文化事業に対して、結局私は十分な成果を上げられなかった。
 文化施設は教育の場では無い。学校とは違う。しかし柔らかな「社会教育」のひろばとして愛されてきた。公民館、文化会館と、それぞれに成果は上げてきていた。合唱だって、ブラスやオーケストラだって、日本の伝統文化でも実績は大きいし、誰も不満に思っている人はいない。

 「つくる」ということが大変だ。過去を保持すれば生まれるというものでもないし、破壊すればいいわけでもない。そんなに創造性を人々が求めているわけでもないだろが、文化を守るということはアグレッシブルな姿勢も必要だ。それを考えると億劫になることもあるが、学校の成果を一段高めるには文化施設の創造の場への開放が必要なのだ。その手立てがありながら、鹿鳴館時代の延長文化を追従しているところには、目が行き届かない現実がある。もったいないとも思いながらも私には限界があった。やり残してしまった感がある。しかし誰かがこれをクリアし、育ててくれるように思えるが、もう少し時間が必要かもしれない。次世代に期待したい!

文化事業のやり残し①

 全国の公立文化施設に文化事業の相談に伺わせていただいた日々があった。
 文化施設の希望は市民にアピールできるイベントの招致が一番だった。世界で、日本で、誰もが知っていて(それゆえ集客が可能、話題性があり、紹介があると割り引かれ、その結果実績にもなり、赤字が少額)企画の「招致」方法だった。要はツテを頼りのプロモート助言が多かったようだ。
 
 私の提案は、地元人材(地元の名士だけでなく、若い音楽仲間とそのつながり)の発掘と、情報だけでも交流して「何が生まれるか」考え、生み出すことだった。でも誰でも地元でなく、東京や世界の有名人とのコンタクトを望んでいた。
 結果的に有名団体の招聘でもいい。しかし「私たちの文化も伝統芸能だけが護られているだけでなく、新しい文化の命が生まれていて、そことの交流が無いのは“消費”だけだ」と私は思っていた。文化は消費と創造が車の両輪で、田舎といっても創造する心はパリやニューヨークと同じだ、というのが考えのベースにあった。でなければ青い目の文化が第一だと思う過去の姿勢と同じよう思えたのだ。
 全部の文化施設が同じ姿勢でないまでも、市民の文化会館への期待はがっかりするものだった・・・いや、本当は市民の文化の価値観は進んでいて、世界のポップスなどへの価値観は最先端で、それを文化施設が把握して、実行するまでに時間が掛かっているということもあるだろう。ポップスなど集客人数からして同列で論議できないこともあるからだ。
 

慣れるより習え②

 小学校の教室で「音楽づくり」を楽しむことにした。東京下町の小学校5年生ひとクラスに、音楽教育の専門家(学校のクラス担任と音楽教師も加わり)、作曲家の私、そして打楽器奏者3名ほどでチームを組んだ。
 子どもはプロのひとの仕草(表情から技術まで)を見ているから、技術を「教えないで、子どもが発見するまで待ってね」という依頼をした。何が違うか「考える」こと、素敵な音を「発見する」ことが一番大切で、それを基に簡単なリズム・パターンを子ども自身が考え、「つくり」「表現する」ことが目的だった。
 当然、子供をサポートする専門家チームは打ち合わせ、シミュレーションを繰り返し、本番に望むことにした。

 子どもたちは楽器庫から思い思いの打楽器とバチを出してきて叩き始めた。音が静かになったので、どうしたのか見ていると、打楽器奏者それぞれの前に子どもを一列に並ばせ、バチの持ち方、正しい打楽器の叩き方の「レッスン」を始めていた。
 打楽器からどんないい音が出せるか、考える時間を持たせることなくカタにはめて行った。きっと打楽器奏者の生い立ちもそうだったのだろう。そしてそれ以外の手立てを持ち合わせていなかったのだろが、本末転倒な時間になって行った。この打楽器奏者との体質はもっと大きな問題を産んで行った。

慣れるより習え①

 習うより慣れよ、と普通はいわれてきた。「ママごと」のように、見よう見まねから個性が目を出してきた。何事でもヘタなりの楽しみがあり、その道の名人の凄さを知り、憧れも生まれ、練習や努力から様ざまな「発見」が生まれ、自分で「考え」ながら本格的な勉強(習うこと)に入るのは、音楽に限らず全ての道に通じている。
 現代では、どの道(専門)でも技術など洗練されたシステムが用意されている。そして学ぶひとも早く体得したいから、他人より上手くなりたいから(?)慣れる前から習うことが選べるようになっている。

 ゴルフのコースに良く連れて行ってもらった時期が私にもあった。教えてくれる仲間もいたが、技術より仲間に迷惑をかけない程度のエチケットを旨に遊んでいた。それを見ていたワイフが「一度私もやってみたい」というので、練習場へ連れて行った。初めてだとクラブにボールが当たるのも難しいモノだ。
 空振りしても(経験だから・楽しいのが)「いいじゃない!」と褒めていた。そのうちにワイフに知らないオジさんが近付いてきて耳打ちをした。「あのひとに教わっていちゃゴルフは上手くならないよ」だって。

音が聞こえる②

 音楽は聴く人のグレードを選ばない。何も分かっていないようなひとでも、本質を見極めたと思っているひとでも、それぞれの力量に合わせて感動に導いてくれる。それだけ音楽自体は奥が深いといえる。
 耳のいいひとは、とにかくたくさん音楽を聴いている。音楽を情報として良く把握している。新しいもの、時代をつくっていくもの、他に影響を与える力があるものなども分かり、それだけで音楽のプロといえるひともいる。
 問題もある。つまり作者の手の内が読めることが多くなることだ。表現の冒頭から何を考えてつくっているか、そのソースは何処にあるか、次にどう話を進めたいか、その表現するテクニックがマッチしているか、など聞こえてくるよりも裏が見えてしまうことがある。実に興味を削ぐ結果になる。しかし手の内が分かっても感心する音楽もある。奥の深さはここにもある。

音が聞こえる①

 コンテンポラリーは情報収集とその分析から生まれる。突然作曲者がいいメロディーが浮かんだり、感情の抑揚だけで生まれるものではない。
 過去の偉人諸氏がどう表現したか、それまでの音楽との差異性により積み上げられた世界から生まれてくるものだ。恋愛することにより、または悲しみのドン底から這い上がるエネルギーにより生まれた、とは少々異なっている。
 時代劇の小説を書くにあたり、たくさんの資料を収集・分析していくうちに登場する人物が話し始める、その背景も映像が浮かび上がるというように、自然に見えてくるのと同じで、作者に音が聞こえてくるのを書き留めているのだ。
 それだけでは人びとに分かりづらいかもしれないので、ストーリーを提供することもある。それが面白いとストーリーの方だけ一人歩きすることもあるが、
実際は他者との小さな差異性から生まれてくることが多い。昔も今も同じことを、しかし誰も言っていなかった僅かな隙間から、作者は音を聞き取っているようだ。