這えば立て、立てば歩め、の親心から、人は褒められて育っていく。
食べ物でも、運動でも、本や勉強でも、好きなものを見つけ、親や友だちも優れたところを称賛して、本人も妬みを躱しながら褒められる世界を反復させて、才能を開花させていく・・・
褒めて育てる、という著書の何と多いことか。
音楽家も同じだ。歌が上手いね〜、声がいいね〜、ピアノが上手だね〜、身体表現がすごいね〜、など親や先生、仲間から何か褒められながら、本人もそれを柱に精進していく。作曲も「あそこがいいね〜」など褒められると、そこの特徴を生かした音楽を何度でも繰り返していく。
「曲芸のサルと同じじゃないか」と言った人もいた。拍手をもらうために何度でもウケタ事を何年も繰り返していく。賛辞は性だ。
私事で恐縮だが、音楽の勉強過程で褒められたことが無かった。歌うと、なぜか仲間は笑った。ピアノは二十歳の時から弾いたが、感心されてアンコールの呼び声も無かった。作曲も誰かに感心されたこともなかった。師匠からの「自分がいいと思ったらそれが一番いい」という言葉だけを信じて生きて来てしまった・・・誰からも褒められないので、自分で褒めて書き続けてきた。ヘンな話だ。