公立文化施設が市民と一緒になって事業を展開させ、文化都市形成の一助になるかの基本は一つしかない。私たちが文化都市にする、などの思い上がりでは決してできない事業で「市民の心と努力をささやかな力で支える役」が文化施設だからである。
第一に、市民の意見を「聴く」ことだ。そしてそれを「生かす」ことだ。ところが市民は予算などの資金を持っていないので、その生かす術の一つに資金を含む「支援する」ことが加わるのだ。街には人材を含めた「財産」がある。それを生かさないで、オリジナルを産み出そうと思うこと自体誤解がある。街の人財にはクセがつきものだ。それを包括して新しい交流を生み出すことが一番大切なことなのだ。その結果、海外を含むクラシック音楽やポップスの一流アーティストを呼ぶという興行を成功させるエネルギーになるという仕組みだ。

 この仕組みは何処でも誰にでも何回も話して、実践して、討論して理解していただいてきた。そして各地でも成果を上げてきたが、大元で失敗していた。この簡単な理屈が誤解を生んで行ったことに私はショックを受けていた。

 それは芸術監督を引き受けた街には「少年少女合唱団」があった。その存在は大きく、街にも文化施設にも、大きな財産になるはずなので「どこかご一緒に協力できることがあったらしましょう」という投げかけだったが、交渉した責任者は決裂させて帰って来た。畢竟、会館の公募で子どもたちの合唱を立ち上げることにしたが、どんなに立派な団体を育てようとも、これまでの財産団体を壊してはいけないのだ。その後、その団体は解散してしまった。十人の味方を得るよりも、一人の敵を作ってはいけない、という鉄則を破ったことになる。恨むひとは家族から卒団生まで何千人にもなるだろう。これでは基礎工事は欠陥であったと言われても言い訳はできない落ち度だ。

 チームは一人の力で動くものではなく、事業のコンセプトの相談は会館責任者が分担して各地の相談にも対応していた。そこで「こんなチッポケなステージじゃクラシック公演は無理だ」などの助言をして、壊れてしまった事例が沢山あった。私が全部直接相談を受ければよかったのだが、私の脇の甘さをつかれた形で、取り返しのつかない失態を演じていた。これに限らず、初手でボタンを掛け違うと、どんな立派なことを言っても花の季節はなかなか訪れないことになる。