東日本大震災が起きた一ヶ月後、私は宮城・福島を歩いて回っていた。音楽家でも自分の肌・耳目でこの大災害に触れることは大切だと思ったからだ・・・空気のニオイが厳しかった。 いつもは聞こえない音が鳴っていた。人びとの様々な命が重なって無音の中でも渦巻いた響を感じた。それはTVでは伝わらない世界だった。そして「災害支援」の旗・幟(のぼり)・横断幕を掲げたトラックが長蛇の列をなして街に入っていく様子は感動的な風景だった。そして地元の文化施設でお世話になり育ててもらった音楽家の人びとが「いま私たちに出来ることを手伝いたい」と、文化施設に多数の人びとがボランティアで訪ねて来たことには、深い感動を覚えた・・・

 災害の時に最初に復旧させるのは、水や電気、食料から道路などのライフラインだ。その次に必要なのはひとびととのつながり、「ハートライン」だろう。

 子どもが負った傷のケアも大人は考えている。県や市役所の関連窓口、学校の先生、地域の民生委員諸氏がそれぞれの活動をしている。プライバシーがあるから何とも言えないが、それぞれの役割に応じた活動であって、横の連絡も調整もないのでバラバラ感は否めない。

 それを公立文化施設などの講習会で提言して検討したが、どうハートラインが組めて、どんな活動が展開できるか優れた答えが出ないままでいるような気がしている。一つの決定的な答えでなくてもいい。悩みは災害に遭ったひとびとの数だけあるからだ。そのラインをみんなで考え共有すると、子どもたちに「やさしさ」がしっかり伝わるかもしれない。それが財産を生むことになると思った。