30数年前、日本でそんなに歌唱出来る人がいない頃、私はモンゴルの民族歌唱「ホーミー」を学んで歌えるようになっていた。
 低音(ドローン)を口から響かせ、その上に倍音で異なる声部のメロディーを重ねる唱法だ。その響かせる身体のポイントは頭部や胸部など数カ所あるが、技術はともかく大草原の彼方と調和する素晴らしい歌唱になっていて、複数の同時歌唱を楽しんでいた。

 その倍音は「声明」にもある。お坊さんの集団音楽的読経だ。普通聴いていると経には違いないが、喉を絞って出す声には倍音が生まれていて、ホーミーのように高いところで別の音(歌)が生み出されてぶつかり合っていることに気付かされる。
 その倍音が私たちにはありがたいほど安らかな世界に誘ってくれるようだ。雅楽でいうと笙のような、空間を埋めながら、倍音から生まれた歌が空間の中で際立つように縁取って行く。可聴範囲を超えた倍音の重なり合いが、私たちを未知の音楽空間に誘ってくれているようだ。
 
 身近な例で善し悪しは別として倍音の多い音楽会の例を記して見る。それはヘタな合唱団、アマチュアのブラスバンドやオーケストラなどだ。つまりピッチが合わないところで音がぶつかり、倍音が多数出てしまう演奏がいいのだ。しかし基の響きが不安定な時は倍音で生まれる音の像が聞こえづらいかもしれない。