私は元々「〜らしく」などという意味不明な区別にはアレルギーがあった。
何が子どもらしいか、高校生らしい野球とは何か、男らしい、年寄りらしいとは何をさしているのか、全て意味不明な言葉だと思っている。
企画制作責任者の範疇だが、酷い注文も時としてあった・・・「三善 晃のような合唱曲が欲しい」(なら、三善先生に委嘱すればいい)。「今売れている全員合唱作品の代わりにふさわしく・・・前奏4小節、歌い出しはユニゾンで、次第に盛り上がっていってクライマックスに・・・」、さすがに断った。注文者がそのように書いたらいいと思った。
ワーグナーの楽曲のママでいい、アニメ創作のイメージが湧く、という注文を断れずに書いたことがあった。アレンジ部分より原曲のママのところが音楽として迫力があったが、そんなことより作家としてはマイナスな結果だったと思っていた。
教団の青年たちが南方の大東亜戦争の被災地への慰問に行った。趣旨は素晴らしいが、みんなで歌う歌は戦時中の軍歌の替え歌だった。それでは慰問にならないので、踏襲した新しいみんなの歌を創って欲しい、という主催団体の企画に参加して愛唱歌を何曲か書いた。
創作当時はそのお仕着せ賛歌も団体員に喜ばれたが、青年諸氏のその時代の人気ポップスとは異質だった。企画自体が問題だったかもしれないが、本当にいいことをしたのか疑問が残ったままになっている。