Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

投稿者: Katsuhiro Tsubonou (Page 4 of 15)

注釈譜③

 拙作「オカリナのためのコンベンション」の注釈譜
 ♪参加者全員が遠く離れたところから仲間と音の交信をする。みんなで決めた一つの音から聞こえる仲間の音から少しズレて(ハウリングを起こして)交信する
 ♪全員が中央に集まってくる。出会った仲間と即興で「会話」する
 ♪次第に遠くに仲間が離れていく

 音楽づくりの基は、一つのアイディアを、仲間どうしが考え、つくり合うことが核になっている。だから大切なことは、誰かが何かを強制したり、ダメ出しをしたりすることでなく、みんな考え(ルールもつくり)、聴き合い、楽しむことにある。
 故に時間が無い、金がない、自分たちで考えられないから、指導者が指示して決め、構成演出もリーダーが作ってしまうことがよくある。
 そして、この種の企画(作品)をリーダーに依頼すると、「作曲者は何もできないから、私(リーダー)が全部つくってあげたの」と言わしめてしまうことになる。誤解の音楽づくりの歴史が続くことはリスクとして残っている。
 しかしインストラクションの音楽の良さは、これから認められることになると私は信じている。

注釈譜②

みんなで輪になって「おはよう!」という言葉の音程で、みんなが同じ声で「あー」と出してみよう
その同じ音声をウェーブで回してみよう
隣の人と少し違う音を出して、みんなで全体の音世界を聴いて見よう
元の音に戻り、エッ という声で、様々な高音から低音まで使って、小鳥のように鳴いてみよう(パターンを考えて、同じフレーズを繰り返してみる)
歩き出して、広場全体を使って「即興で」仲間と(2〜3人ずつで)交代で「会話してみよう」
みんなが元の輪に戻って小さなウェーブをつくり、オーという声で強弱を即興でつけて、みんなの声を聴き合いながら歌ってみよう
次第に輪を広げて、全員仲間の声が聴こえなくなるまで広がったら終わり。
 

注釈譜の例である・

注釈符①

 昨年「日本ISMN コードセンター」という一般社団法人が、私も理事に加わり設立されました。世界の楽譜標準化推進支援とインフラ整備支援のために、経産省の人々や音楽産業の代表が加わり、また音楽家を代表して私も加わり、国際的な楽譜の用語統一や、それによる楽譜や楽書の検索が何処でも誰でも世界中から可能な整備をして行くことができるような、コンテンツ産業の一助になることを推奨できる組織として誕生したことになりました。

 その中で特筆されたことは、楽譜は五線紙で書かれたものだけでなく、図形楽譜、インストラクション(注釈)だけでも楽譜として認知する、ということでした。特にインストラクションだけでも、という私からの提案は大きな成果を生みました。「五線で記された音楽に忠実に」という概念から大きく広げられて行く決定は、言葉で書かれた内容で音楽が創造できて、多くの人々と共有できるということで、歴史的なことだと思われました。もちろん子どもでも創作できる世界が認められたということでした。

ワールド コラボレーション コンサートIIIのお礼

 9日(月・祭)午後に東京・紀尾井ホールで開催された演奏会は、多数のお客様・各国大使館諸氏、多くの小学生をお迎えして開催し、無事盛会の内に終了しました。3月5日の東京タワーでは、その抜粋と、主催者公募のよる歌の作品&歌を元にした動画作品の発表も行います。

 世界各国の伝統芸術だけでなく、伝統音楽の核になっている要素(モードなど)を応用して、日本や各国の伝統楽器を駆使して新作をつくり、発表し合う「協創(クリエイティブ コラボレーション)」作品の初演も多数披露されました。また私も演奏会前にロビーで音楽のワークショップを子どもさんたちと楽しみました。
 本企画は演奏家諸氏のご努力と、それを支えてくださった皆様のお陰です。ありがとうございました。
 来年3月10日に紀尾井ホールで第四回を予定していますが、何時の時代もこのような新しい企画の継続は大変です。今後も皆様のご支援をお願い申し上げますと共に、第三回演奏会のご報告をここにさせていただきました。

あけましておめでとうございます

 今年もご訪問いただいたみなさまの、ご健勝とご多幸をお祈りしています。

 1月9日の第三回「 World collaboration concert」を、私の音楽監督で

参加し紀尾井ホールで、また3月5日には東京タワーで開催します。

 私は助成団体の審査員から、文化事業の助勢まで、作曲を中心に活動を展開していきます。

メタバースの音楽

 50年ほど前、拙作のなかに図形楽譜の作品が幾つかあった。
 本 Web サイトの表紙の一部なっているが、ヴァイオリン・ソロの「スカイ・プロズム」と、ハープのための「リンの詩(うた)」がその例だ。

 「スカイ・プリズム」は、その名の通りプリズムを回すことによりまれる音たちを、演奏家が即興で感じ取り、表現していく音楽だ。
 プリズムだから三角錐の中に音たちが、ちょうど宇宙の星のように浮かんでいて、それが三角の面が回ることによって、星たちの存在が変化していく仕組みになっている。
 三角だから一つの時間軸をドレミのド、もう一つを5度上のソ、最後の軸を更に5度上のレに設定すると、ドとソの面から見た星たちが浮かんでくる。しかし次の面、ソとレの面から見ると、同じ音たちが違う音の場所にいることになる。またドとオクターブ上のレの面を見ると、また代わったポジッションの音の存在に気がつく。「仮想空間」の音との交流がそこにはある。音楽の三次元の創造に於ける表現だったが、半世紀たっても誰からも理解してもらっていない。埋没したママか、眠ったママか、とにかく拙作の一番の自信作だが、なんの評価もされないママ時が過ぎて行った。

 子どもの「音楽づくり」など最適だと思うのだが、この仕組みを理解していただくことは、なかなか難しいようだ。
 なお、文中の拙作が二曲入った CD はフォンテックから発売されている。
 <FOCD2570>

名医

 どの町のどんな職業でも、天使の様な輝きを持っているひとと、信じられないほど酷いひとがいる。
 ある町の医師会と音楽のつながりでお付き合いさせていただいたことがあったが、天使と尊敬できるひとと、問題があるひとがいて驚いたことがあった。
その酷いひとに当たらないようにするには、口コミも参考にした情報量だろうが、情報が常に自分にとって正しいとは限らないから厄介な問題だ。
 幸い私は優れた先生にばかりお逢いしてきたようだ。

 歯科医の先生は、かなり酷い状態の歯でも最後までその歯を生かそうと手立てを講じてくれていた。だから歯で困っている仲間を紹介すると、みな感動していた。
 私の父母の主治医は、地域でも聞こえた名医だ。医院での診察が終わると在宅医療で飛び回り、夜中の急患対応までされている。だから緊急時に車を運転できないといけないから酒は飲まない習慣になっている。誰もが出来そうだが、行列のできる医師はそうはいない。

日本の作曲家偉人伝

 日本の現代音楽に関する名曲の話を綴ってきた。曲をつくる人、つまり作曲家に話を向けたら、これまた数十回の連載になってしまう。そのくらい日本には偉人が多いのだ。

 最近の話の一部をしよう。タレントとしての実績に目を向けがちだが、例えば、芥川也寸志・黛 敏郎(敬称略、各故人)の実力は常人の努力では届かない世界と交信した結果を私たちに聴かせてくれているようだ。つまり音楽・ミューズが微笑む源泉を私たちに振舞ってくれているようなのだ。
 口の悪い人は、音で感じる世界を見て書いている、と評価する人もいる。聞こえてくる音と同化して書いていないところが問題かもしれない、というが・・・
 しかしどう評論しようと、作曲年代の世界の音楽動向を伺ったとしても、勉強すれば表現できるという範疇を超えているように思える。
  TYや映画、舞台の音楽外の作品そのものを聴かれると、誰もが何か背筋がゾ〜とする感動をえるかもしれない。

現代音楽の名曲新釈 ②

 故・矢代先生とは東京文化会館の階段でお逢いしたのが強烈な印象を持っていた・・・「あなたの音楽を私は支持します」と真剣な顔で仰ってくださったが、直ぐ後で亡くなられてしまった。
 反対に、雪の降る有楽町の街角で私と言い争いをした作曲家の先生がおられた。「キミ、音楽は結局メロディーだよ」という意見に、私は一面的なコンセプトに反対意見の喧嘩を売った論争だった。
 コンテンポラリーの発想では、メロディーそのものも従来とは違う切り口を若い人びとは求めていたからだ。
 でもその人「松村禎三」は名曲を数多く残しているが、「ピアノ協奏曲」(1番と2番がある)のドローンには参ってしまった。ドローン<低音の持続音>の上ではピアノだけでなく、オケの様々な楽器がつむぎ合って歌を広げていく。
これまた誰にでも分かりやすいし、民族音楽にもあるように音楽の基を成しているし、既に教材化されているほどのスタンダードな構造なのだ。これは子どもにも理解できるし、この曲を参考に「音楽づくり」も可能なのだ。凄いと思った。
 なかなか再演されることが少ないが、でもこの曲は何時迄も人びとに松村先生の信じるメロディーの基が紡ぎ出されていくように思った。

現代音楽の名曲新釈 ①

 20世紀後半、日本の現代音楽作品はかつてないほどの名作が生まれていた。日本の天才作曲家諸氏が珠玉の名作を生み出した時代だといえる。
 海外で高評価された作曲家作品は、私たちも良く知っている。歴史に残る名作の数々に圧倒されている。一方、海外のオーケストラ公演でも紹介されたが、あまり評価されていない作品も多かった。ヨーロッパの伝統的な様式に則った作品など、欧米の専門家諸氏から失笑されたりした。

 矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」の第二楽章についてお話しする。ドレミのドの音のリズムパターン(オスティナート)が繰り返されるなか、弦が緩やかな歌を浮かび上がらせていく。子どもの頃に眠っていてウナされた響が元になっているそうだ。エピソードはともかく、誰にでも分かりやすく、イメージも人それぞれに掴みやすい。その分かりやすさというのが大きな魅力だ。それがあると、第一楽章や第二楽章も理解されやすくなる。子どもなど、こんなエッセンスから自分の世界に矢代作品を迎え入れてしまうような気がする。

 日本のあるオーケストラによる海外公演では、散々だったようだ。国際的に活躍していた共演のピアニストには「何でこんな曲に入れあげた演奏をするんだ」とまで言われたそうだ。
 でも時間が経つと、多数の聴衆がイメージを膨らませて、作品の優れた世界を敬愛して行くような気がしている。

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