Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

カテゴリー: 魑魅魍魎 / CHIMIMORYO

ニセ情報

 「ネットの何処を探しても、 Wikipedia にも出ていないんですよね」。言い換えると「あなたは有名(一流)ではないんですねェ」と島田の方の校長先生に言われたことがあった。
一流かどうかが問題ではなく、事実と異なることが時々書かれていたので、出ていないことに感謝している。拙作も私の知らないうちにネットに流されていたので、私のことは私の言葉で書いておこうと思ったからだ。それは以前も記したが、2001年にWebサイトを立ち上げた最大の理由がそれだった。
 一度ネットに載ると、間違った情報は消え難いのである。 Wikipediaでも同様だ。今も載らないことが嬉しい。

 「いちにのさんすう」という NHK教育TVで’ 75年頃から約20年間放映された、小学1年生向けの番組があった。多くの子どもさんがタイトル・メロディー(スキャット)を口ずさんで授業を楽しんでくださったようだ。
 コメントからは、作曲(故) H・健太郎、歌は H・美都子だと記されているが、実際は坪能克裕作曲編曲・大杉久美子のスキャットだ。著作権等の正式資料は間違いないが、ネットに一度載ると間違いでも正しいように一人歩きしていくことが不気味だ。もっとも、もう少し経つと、時代の金字塔を建てた以外の人物や作品は、時間の隙間から放逐されるだろうから気にしなくてもいいのかも知れない。


「いちにのさんすう」

YouTube

https://youtu.be/Ca0WPvMuX-I

三日目の辞表

 新人社員が三日目には辞表を出して辞めていく。
 面接だけでは分からない勤務先の様ざまな価値観に遭遇するには、二三日は掛かるからだ。人が集まると、様ざまなハラスメントが待っているのが常だ。自分の才能を生かされるかではなく、誰が自分を護ってくれるかの判断は、外からでは分からないものだ。ピンときたら逃げるのも大切なことだと思う。

 「学校を一つあげるから、好きなようにやってくれ」という誘いを学校の旧理事長から受けたことがあった。全面的なサポートを学校内外から人的にも経済的にもする、という話だったので引き受けざるを得なかった。
 入ったら、在職者の心は荒廃していて、伝えられる情報はデタラメで、私を招聘した先生は豹変して高圧的な態度になった。誰を、何を信じていいのか分からなかった。そこで急遽、経営や法律の専門家に学内資料を調べて貰ったら、何かあった時に私を護ってくれる文言が何処にも無いことが分かった。「逃げるが勝ちだ」と判断して、三日目に辞表を提出した。
 旧経営者の態度は一変した。なだめられ、一旦は継続することにしたが、長居は無用という判断は曲げなかった。その時までに、社会の中の学校、経営の秘密、音楽家の学校との関係、未来の音楽家や教育問題など、テーマを決めて体得することにした。それはその後役立つことになったが、この時期の様ざまなアクシデントは、仲間・先輩・後輩との優れた信頼関係にヒビが入ったなどの損失は大きかった。

霊感・占い

 霊感の強い人が時々いる。普通の街のおばさん(失礼!)が様々な事例を当てたり、予言を的中させたりした人も知っていた。ひとは一つ言い当てられると、その人を信用するクセがあるようだ。私に対しては依頼者の聞きたいことが当たったこともあれば、外れたこともあった。普通は見えないことを言える優れたひとは、分かっても言わないかもしれない。

 子どもの時に、普段見えないものが見えたり、聴こえたり、不思議な現象に遭うひとはいるようだ。何の訓練もしなくても、第六感や“胸騒ぎ”を体験するひとは多いいようだ。私も不思議な体験を数多くした。霊(いや、例)を挙げるとキリがないほどあった。

 多数の本を出していた有名なタロット占い、星占いの先生が、昔お酒を飲みながら私に言ったことがあった。占いは何千年かの人間の知恵であるけれど、半分しか当たらない。残りは経験や閃きで判断するが、相談者の努力で変わってしまうことが多い、ということだった。予言より、本人の努力が勝る、というところが大いに気に入っていた。

人間関係の悩み

 親が幼稚園や保育所に行く頃、子どもに対して心配する一つに、友だちができるかどうか、仲間と上手くコミュニケーションがとれるかどうかがある。
 大人になっても、性格の不一致や、人間関係の悩みに苦労する人が多い。
 相性の良し悪しはあるが、人間関係が上手く行くなんて考えること自体無理がある。そのくらい多種多様で、理解しあうためにはお互いに大変な努力がいる。また性格が一致するなんて気持ちの悪い現象を信じている方が可笑しい。

 人びとが住む環境や文化、言葉や宗教も違うし、そこに利害関係が加わると私たちは簡単に国際親善ができる、なんておこがましくて言えたモンではない。
 音楽仲間でも同じで、音楽を通した世界だって様ざまな価値観で満ち溢れている。人とはトラブルのが当たり前で、悶着あることが創造につながっている。

作物ドロボー

 実りの秋だ。農作物・果物、漁業の養殖から遠洋漁業の冷凍品まで、様ざまな生産物の取り入れが始まったが、いつの時代も、どの地域でも、その丹精込めた成果物を盗むヤツがいる。最近では牛や豚など、大型動物の盗人までいる。

 盗むヤツの神経は分からない。しかし盗まれた人びとの悔しさと苦渋だけは分かる。私も子どもの頃から何度も経験した。

 一回目は穀物を盗まれた。獲れた日の夜にベランダに置いてあったものを全部盗まれた。その後警報ブザーを付けて穀物を保管したが、鳴ったことはなかった。

 朝、鶏が鳴かない。鶏舎に行ってみると一羽もいなかった。一晩で全部盗んだヤツがいた。随分経ってから若い男が捕まって、現場検証に来たが、何百羽も盗まれたたショックは大きく、父は養鶏を辞めてしまった。我が家に犬はいたが一回も吠えなかった。

 栗やスイカも被害にあった。子どもがイタズラで一個盗むのとは違う。毎日消毒し、枝を剪定し、肥料をやっては、熟成を待つ日々の最後に盗まれる・・・

悔しさは筆舌に尽くしがたい。子ども時代のこの感覚は絶対に抜けないでいる。

一生の即死回数

 切られて死んだの 五万回~ という歌があった。チャンバラの、切られ役の歌の意もあったが、実際は私を含む仲間たちにも当てはまる歌だ。

 剣術遣いは死と向き合っている。相手の技量も読めずに剣を抜いたら、一瞬のうちに殺されてしまう。体育会系の勝負は、見合った瞬間に勝敗が分かってしまう。やってみなければ、と呑気なひとには命が幾つあっても足りない。

 文科系の世界でも、議論で即死を迎える人がいる。技量が無いだけでなく、資料や勉強不足、相手との間合いや急所を捉えることと、相手のそこへの攻撃で葬り去られることが良くある。剣を持たないでも、言葉だけで即死になることが一生の内に何度もあるようだ。

 いらんことを言い、タイミングや言葉選びを間違えると、場外退去となる。取り返しのつかない場面が一杯持ったままの老人もいる。

 アイツはダメだ、いらんことを言っている、もう殺されている、と五万回も言われて生き長らえたのは、私だけではなさそうだ。

 剣や鉄砲を持ち出さない生き方だが、それでも生きて来られたことは、人びとに対して畏敬の念や感謝を持って生きていないと、もっと酷いことになるということだろう。

根性練習

 昔ほどではなくなったが、学校の音楽クラブで今でも良く見かける光景がある。合唱クラブにもあるが、ブラスバンドの練習風景に多い・・・指導者登場の「起立・礼」から始まり、小気味好い体育会系の応答。そして演奏に。次第に出てくる指導者の注文。今の音は何だ!心がこもってない!もっと歌うように弾け。返事(の声)が小さい!「ハイ!」。どうしたら心がこもった演奏になるか、どう歌うのがいいのか技術的な説明がない。「気合いを入れている」と豪語するひともいれば、ペナルティーで「グランド1周(10周)」、ウサギ飛び何回か、なんて体罰まであった。

 ピッチから、合わせるポイントから、響きあう術から決めていく。機械とニラメッコし、先輩の顔色を伺う、仲間に嫌われないいい子になって、その間隙(感激求めて)をぬって「でも綺麗になりたい」想いで一杯になる。結果、「あなたがたが他の人びとより美しかったわよ<金!>」と言われて狂喜する。

 ここにコミュニティがあり、人格が磨かれていくスペースにもなっている。そしてここでの揺籃期が日本の音楽文化を支えていく現実もある。素晴らしくリアリティのある感動を伴う活動だが、音楽はワクにはまらない危ない創造性を見失うことがある。精神論、根性論も必要だろうが、論理的に説明できるところと、理屈を超えた領域に自己の可能性があって、それらとの共有がいつも問われていると私は思っている。

アニメ・ソング

 アニメ・ソングの制作といえば、音楽産業の世界で日本コロムビア・レコードの木村英俊プロデューサー(同社取締役・制作本部長)を知らないひとはいなかった。音楽制作家の天才の一人だったろう。それだけにアクが強く、敵も多かったが、ずば抜けた仕事ぶりでアニメ・ソングを日本の文化として一時代を築いて行った功績には凄いものがあった。

 「アニメ・ソング制作に魅せられて」(有)ジーベック音楽出版社刊、が出版されている。アニメ・ソングの記録が核になっているが、ディズニー映画や手塚治虫の世界を含め、壮大なアニメの歴史が描かれている。これは日本の文化財だ。 TVや映画、音楽の知られざる制作記録がここにある。著者が長年心血を注いだ魂の文言が読むひとに伝わってくる。もちろん客観的な記述ではあるが、制作者の入れ込みは自分史にも近くなっている。単価が高いからなかなか売れないようだが、アニメが好きなひとが手にして、宝物であることを実感できる編集だったら、もっと多くの人びとに拡がったかも知れないと私は思った。

 約十年私は木村氏の傍でプロデュースを学んでいた。そうでなければ作曲家の団体が国際大会を私のプロデュースで成功に導くことや、全国の公立文化施設の文化事業に助言などで参加できる手だては無かったと思っている。

 2019年7月16日、少ない家族に見守られ亡くなった。大きな時代のうねりがアニメ・ソングを賛歌として天国に連れて行ったような気がした。