Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

カテゴリー: 音楽づくり / MAKING-MUSIC (Page 2 of 3)

打楽器奏者

 打楽器は拙作のなかで、絶えず重要な役割を担ってくれてきた。マリンバを含め、芸術祭や日本レコードアカデミー賞などにも縁があった。

 だから私は演奏者に関して特別な思いが打楽器奏者にあった。しかし痛い目にばかり合わされてきたのも事実だった。

 「音楽づくり」を文化施設の人びとに体験していただき、地域文化振興にも役立てていただきたいと思って実施したことがあった。自分たちで「つくる」「表現する」、その芽を文化育成の原理として役立たせる、という意味で全国大会の別枠で企画していただいた時間を私は受け持った。

 小学校などでの幾つかの失敗を活かすため、音大卒の打楽器チームと打ち合わせをした。初めて打楽器を手にするひとが考えて、叩けて、それを一つのフレーズとしてつくったものを繰り返して、即興で表現していく手立てを徹底してリハーサルを繰り返した。全員分かったような顔をして舞台に登った。

 舞台では打ち合わせとは異質なレッスンが始まっていた。そしてグループに分け「サンバ」のパターンを押し付けていた。全員で舞台はサンバの祭りでも盛り上がって行った。全国に「音楽づくり」の誤解を伝達してしまった。

慣れるより習え②

 小学校の教室で「音楽づくり」を楽しむことにした。東京下町の小学校5年生ひとクラスに、音楽教育の専門家(学校のクラス担任と音楽教師も加わり)、作曲家の私、そして打楽器奏者3名ほどでチームを組んだ。
 子どもはプロのひとの仕草(表情から技術まで)を見ているから、技術を「教えないで、子どもが発見するまで待ってね」という依頼をした。何が違うか「考える」こと、素敵な音を「発見する」ことが一番大切で、それを基に簡単なリズム・パターンを子ども自身が考え、「つくり」「表現する」ことが目的だった。
 当然、子供をサポートする専門家チームは打ち合わせ、シミュレーションを繰り返し、本番に望むことにした。

 子どもたちは楽器庫から思い思いの打楽器とバチを出してきて叩き始めた。音が静かになったので、どうしたのか見ていると、打楽器奏者それぞれの前に子どもを一列に並ばせ、バチの持ち方、正しい打楽器の叩き方の「レッスン」を始めていた。
 打楽器からどんないい音が出せるか、考える時間を持たせることなくカタにはめて行った。きっと打楽器奏者の生い立ちもそうだったのだろう。そしてそれ以外の手立てを持ち合わせていなかったのだろが、本末転倒な時間になって行った。この打楽器奏者との体質はもっと大きな問題を産んで行った。

慣れるより習え①

 習うより慣れよ、と普通はいわれてきた。「ママごと」のように、見よう見まねから個性が目を出してきた。何事でもヘタなりの楽しみがあり、その道の名人の凄さを知り、憧れも生まれ、練習や努力から様ざまな「発見」が生まれ、自分で「考え」ながら本格的な勉強(習うこと)に入るのは、音楽に限らず全ての道に通じている。
 現代では、どの道(専門)でも技術など洗練されたシステムが用意されている。そして学ぶひとも早く体得したいから、他人より上手くなりたいから(?)慣れる前から習うことが選べるようになっている。

 ゴルフのコースに良く連れて行ってもらった時期が私にもあった。教えてくれる仲間もいたが、技術より仲間に迷惑をかけない程度のエチケットを旨に遊んでいた。それを見ていたワイフが「一度私もやってみたい」というので、練習場へ連れて行った。初めてだとクラブにボールが当たるのも難しいモノだ。
 空振りしても(経験だから・楽しいのが)「いいじゃない!」と褒めていた。そのうちにワイフに知らないオジさんが近付いてきて耳打ちをした。「あのひとに教わっていちゃゴルフは上手くならないよ」だって。

音が聞こえる②

 音楽は聴く人のグレードを選ばない。何も分かっていないようなひとでも、本質を見極めたと思っているひとでも、それぞれの力量に合わせて感動に導いてくれる。それだけ音楽自体は奥が深いといえる。
 耳のいいひとは、とにかくたくさん音楽を聴いている。音楽を情報として良く把握している。新しいもの、時代をつくっていくもの、他に影響を与える力があるものなども分かり、それだけで音楽のプロといえるひともいる。
 問題もある。つまり作者の手の内が読めることが多くなることだ。表現の冒頭から何を考えてつくっているか、そのソースは何処にあるか、次にどう話を進めたいか、その表現するテクニックがマッチしているか、など聞こえてくるよりも裏が見えてしまうことがある。実に興味を削ぐ結果になる。しかし手の内が分かっても感心する音楽もある。奥の深さはここにもある。

音が聞こえる①

 コンテンポラリーは情報収集とその分析から生まれる。突然作曲者がいいメロディーが浮かんだり、感情の抑揚だけで生まれるものではない。
 過去の偉人諸氏がどう表現したか、それまでの音楽との差異性により積み上げられた世界から生まれてくるものだ。恋愛することにより、または悲しみのドン底から這い上がるエネルギーにより生まれた、とは少々異なっている。
 時代劇の小説を書くにあたり、たくさんの資料を収集・分析していくうちに登場する人物が話し始める、その背景も映像が浮かび上がるというように、自然に見えてくるのと同じで、作者に音が聞こえてくるのを書き留めているのだ。
 それだけでは人びとに分かりづらいかもしれないので、ストーリーを提供することもある。それが面白いとストーリーの方だけ一人歩きすることもあるが、
実際は他者との小さな差異性から生まれてくることが多い。昔も今も同じことを、しかし誰も言っていなかった僅かな隙間から、作者は音を聞き取っているようだ。

勝手なコーラス・音楽づくり②

 詩でも音楽でも「名作」には秘密がある。その感じ方はひとそれぞれだろうが、自分でもつくってみるとその偉大さが実感できる。リスペクトを抱くことになる。音楽づくりにはそれが一番大切だと思う。

 音楽の仕組みを理解すると「勝手なコーラス」のように、幾らでも勝手なモノ真似から自分たちの世界を堪能出来ることになる。オリジナルな世界とふれ合えるチャンスにもなる。

 ただワークショップリーダーの問題は二つある。一つはリーダーの存在が薄くなればなるほど優れた存在になるから、正に縁の下の力持ちになることだ。同じ目線でつくり合い、参加者が主役になればなるほど、リーダーの実績が表面に出ることは無い。もう一つはそれに伴い、何十回も実施して、参加者と何百曲つくっても、楽譜に残って売れるわけでもないし、業績として評価されることはなかなか無い。つまり儲かる話では無いということだ。しかし私はだから素晴らしい、と思っているのだが・・・

 音楽家のトレーニングは「自分がステージで輝くこと」が大きな目標のひとつだから、みんなの耀きをどう生かすかの折り合いは難しいようだ。

 コーラスだから合唱に興味のある人びとが喜んで参加されるかと思っていたが、「楽譜を忠実に再現」することの大切さを主張するひとが多くて、なかなかデタラメでない即興を生かした音楽の生産に参加されることが無かったのが残念だった。

勝手なコーラス・音楽づくり①

 草野心平の作品に「勝手なコーラス」という詩がある。
 “あ”のカエルや“ぐ”のカエルなどが並んだ19連の詩だ。

 ことばあそびの会の「波瀬満子」が、その19連を様ざまな表情で朗読していた。それを私はレコード録音して、カエルが田んぼから広場に出てそれこそ勝手なコーラスになるように編集したことがあった。

 私はこの詩をテキストにして、子どもたちや一般市民とたくさんの音楽づくりをしてきた。それだけでなく、詩自体も参加者がひとり一連を考えてそこに様ざまな表情をつけて表現することも可能になった・・・“あ”のカエル=あらま、あらま。“い”のカエル=いいね、いいね。“う”のかえる=うらやまし、うらやまし・・・など。5~6名のチームで、ひとり一つの言葉の選択を考え合って、それを「繰り返して」対話することも面白い。

 テーマをカエルから「花」にしても面白い・・・“さ”の花=さくら、さくら。“き”の花=きく、きく、など。一面が花畑に変わるだろう。音楽だけでなく、国語の授業要素も、ひとの動きと合わせると身体表現の時間とも共有することになる。

 参加者の名前(愛称など)を呼び合ってもいい。都市の名前でも良さそうだが、生命体の方が表情も付けやすいだろう。

 ひとり一言の鳴き声や花びらの表現は喜怒哀楽によりコーラスでの感情表現は大きく変わる。そして参加者通しがどう「対話」するかによって、全体の構造が浮かび上がることになるので、そのルールは決めた方がいい。最初から最後まで勝手に自己主張するだけでなく、仲間の表現を聴き合うことにより、全体の表現や密度が濃くなるだろう。演奏時間やそれに伴う個々人の動きなどのルールも全部即興でなく、ひそひそ話での対話から、朗々と抑揚を付けて歌い合う場など「応用・変化」を用意して全体にメリハリを付けると面白くなる。

 この種の音の表現を音楽と感じないひともいる。自然のなかから聞こえてくる音たちを音楽として感じる人たちもいる。

 一つの音を繰り返し表現し合い、個々の人びと通しも全体も聴き合いながら音の世界を作り合うその時こそ「音楽が誕生している」といえる。

 実際夕方田んぼが近いお寺の境内で演奏し始めたら、田んぼのカエルが刺激を受けて鳴き始めたこともあったようだ。

音楽をつくる④ 無限歌

★低音楽器と声=コントラバスかチェロ、ディデュリデゥ、キーボードの低持続音など。声で音楽づくりのチーム(5〜7名)を数チーム(1チーム可)。

★歌をつくる
 低持続音を D(ドレミのレ)とする。その上で歌うモードはドリアを基につくる。

 譜例①


 順次進行(隣の音に順次進行していく)を基につくり、時々飛び進行( Dから F、  Dから Aなど遠くの音に飛ぶ)を加えて、ひとりひとりが即興で歌う。飛び進行の後はまた順次進行の歌がいい。グループの仲間でつくったメロディーをグループの仲間で歌うことや、全員が同じメロディーを歌うことを加えてもいい。

 譜例②


 また即興で言葉を発するコーナーがあったり、それをメロディーとかぶせたり(セリフのように)するのも楽しい。

 言葉はサンプルを記すが、参加者の名前を響きに会わせて呼び合うのも楽しい。響きから外れたシュプレヒコール(怒鳴らない声)でもいい。

譜例③


★グループの仲間は、全員で歌い合う前に、グループ内で簡単なメロディーをつくっておく。また即興で歌うグループの順番を決めておくといい。グループごとに輪になって歌い合い、全体を聴き合えることが大切。

 ひとりひとりが即興で歌い続けると、メロディーは無限に生まれてくる。メロディーはのらりくらり同じようでも、山(クライマックス)をつくってもいい。

 参加者で簡単なルールをつくっておく(始まりと終わり、即興の順)と安心。

★途中で低音を Aにするなど一回変えた音の上で歌うと、中間部がサンドウィッチの中身の味が分かるようになり、基の音に戻ると三部の形が生まれる。

音楽をつくる③ 水滴の音楽

★使用道具=コップ・グラス・料理用のボール、コーヒーを飲むときのサジ・ストロー・注射器など

★参加者ひとりにコップやサジのセットを持つ。
 ひとり一音が出せるようにする。音程は一つで、他の人びとと違っていていい。

 譜例は参考までに10カウント(10秒)に一回、各自の開始・終了でいい。リズムに乗り損なってもいい。仲間の水音が聴き合えることが大切。

 譜例③

 幾つかの音(参加者の出した音)を録音しておいて、それと合わせてもいい。

 微妙に違う音が重なって聞こえる時、音自体が変化して水滴がシンフォニーを生み出している世界が感じられる。

 ※ 「ドリップ・ミュージック」という作品の音源が「音楽をつくる」(日本コロムビア)から発売されていた。

音楽をつくる② 一即多

 一つの音を出し合う、聴き合うことから、全ての音楽誕生が可能だ。

 ここでは「器楽」(木管・金管・打楽器、リコーダー・鍵盤ハーモニカなど)による音楽づくりと「合唱」などのヴァージョンが可能な原型を記す。

 器楽の譜例①


 低音の一つの音を参加者が出し合う。それと爆竹・花火の様な短音を任意一つか二つの音を決めて、一音か二音のフレーズを出し合う。

 剣道の試合のように、何時打ち込むか緊張感を持って低音一音を出し合う。

 にらみ合いの緊張から、突然相手に打ち込んでいく。これを原理に、数回火花を散らし合い、静寂な音の世界に戻る。

 一つの音から様々な音が炸裂して、音がぶつかり合いながら空間を夜空の花火の様に音で描いていく。

 低い音を他の音に変えてみることもいい。一音を連打してもいいなどのルールをつくり、様々な音の世界を描くと楽しい。自分が簡単に出せる音を選ぶといい。

 声の譜例②


 声の種類は二種。一つは低い「うなり声」。もう一つは「ワッ」と驚いたような叫び声。何れも強くて鋭い短音。参加人数にもよるが、ワッ、ワッワッ、ワッと空間が驚きの声の合唱に包まれる。

 ※参考に音資料を、と望む人が多い。間違った解釈など無い!それぞれの音楽づくりは自信を持った人びとがオリジナルの面白さを味わえる。音量など変えると表情が変わっていく。

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