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カテゴリー: 音楽づくり / MAKING-MUSIC (Page 3 of 3)

音楽をつくる① そのルール

 誰でもつくってみんなと楽しめる音楽を記してみる。

 要は音楽になるインストラクションやヒントで、そのママでも直ぐ誕生するが、それは私の音楽世界である。しかし仲間とそれを基に「ルール」をつくり、自分たちで「即興」を加えて行くと、オリジナルな世界が生まれる。

★楽器=各自、スプーンや鉄片、クギ、風鈴、リンやレイ(仏鐘など)から二三糸で吊り下げて音がのびるようにセット。それを叩くもの(ハシやバチ)一本。またはリラベルやハンドベル、グロッケンシュピールなどピッチのある楽器でもいい。音選びは一人二音の高低ならどれを選んでもいい(ドレミソラなどの五音に限定してもいい ※この選択は別案でも使える)

★演奏法=開始と終了のルールや音での合図は、その都度参加者で決める。

一つか二つの音を出すタイミングは、各自一秒を一拍として10までのうち、一秒目と8秒目など決まった「パターン」を基にする。音素材を二つ持つ時は、一つずつ2秒目と8秒目でもいいし、各秒毎にキーン・チーンと二回連続で打ってもいい。秒は少しズレてもいいし、誰かのリズムを聴いたら、パターンを崩してそれに「応答」(マネて)して打ってもいい。

 ゆっくり移動(歩み)しながらパターンを繰り返し、即興によって反応し合う仲間と「会話」して楽しむのもいい。

 カウントを数えるのが苦手なひとは、ゆっくり息を吸って、吐いて、その吐いて次に吸うときまでの間に一つ音を出す、というルールでもいい。

 自分の音を聴く、仲間の音(応答も)聴く、誰かと合わせる、全体の音世界を聴いて楽しむ。みんなが応答で盛り上がっても、静かな世界のママでもいい。

 <楽譜のない音楽も大切なため、あえて楽譜例を掲載しない>

★演奏場所=演奏ホールヤ教室などでもいいが、広場で音を聴き合える距離を取って演奏すると楽しい。例えば神社・仏閣などの広場で演奏すると自然界(木々や小動物の鳴き声)とも一体になれるかもしれない。

 様々な種類の楽器が鳴り響き合うと、それはシンフォニーになるだろう。

朗読劇

 感情を込めて物語を読み上げること、が朗読に違いないが、この頃感情はもちろん込めるのだが、淡々と本を読むだけで無くなってきた。物語の主人公になりきって演じる舞台も、市民が出来るようになってきた。本は持っているが、本も表現の小道具の一つになっていき、顔の表情も目線も演劇と変わらない演出も定着してきたようだ。

 市民ホールで朗読の講師を前任者から引き継いだことが私はあった。前任者はNHKのアナウンサー・プロデューサーの経験者で、滑舌や読み上げる基礎から市民に教えていた。でも行き着くところは NHKのアナウンサーが理想に見え、誰が読んでも同じ品質が保証される読み方のようだった。

 もっと本から感じるまま表情を全身で現していい、抑揚だって必要に応じて付けていい、舞台の上なら歩いても飛んでも寝て読んでもいい、というのが私の考えだったから、市民(多くは女性)は自由に恥ずかしがらずに堂々と、いや豪快に表現し始めていた。

 朗読のコンクールが東京であった。会に所属の市民グループ有志が挑戦した。何でもアリの彼女たちは舞台全体を使って囁き、絶叫し、飛び回った。審査員は誰も顔を上げず聴いていた・・・結果「合格」通知が届いた。コンクール主催者が会費を払えばステージに乗れる、という誘いまで付いたが、その合格者は断ってしまった。誘った方は「こんな名誉な話しにどうして参加しないのか」食い下がったようだが、「コンクールという場で表現してみたかっただけ」というのが自由な市民表現者の感想だった。

 気の毒だったことは、私の講座受講後に、地方の文化施設で朗読クラブに加入のオーディションに参加すると、「朗読ではない」と言って入会を断られてしまう人が出たことだった。そのくらい今でも保守的な分野かもしれない。

新版・リサイタル

 歌や楽器演奏など、ひとは誰でも師や先輩、仲間から学び、苦労して体得した音楽を他人に聴いてもらいたいモノである。拍手が励みになり、より高く深い世界に向かい、日々の厳しい練習にも耐えられるようになり、結果優れた芸術を披露出来るようになるからだ。

 そしてリサイタルなど大規模な企画に向かって行くことになる。しかし多くの場合、こんな迷惑な企画はない。師から学んだ音楽を披瀝するレヴェルは、好意・付き合いで聴いているのであって、表現者の自己満足の会が多い。実績を積むことに付き合わされては、辟易して時間の無駄に感ずるひとも多い。

 それでも私はリサイタルが悪いとは言っていない。コンセプトを見直すと、面白いリサイタルは人それぞれのアイディアで多くの人びとと共有できるようになる。 

 SDGsだって当然核になる。全体が30〜40分のステージや広場の演奏でいい。何処で表現するか、誰と組むか、その社会的な連動が大切になる。何曲も演奏し続けるのではなく「もっと聴きたい」と聴き手が期待する余裕が必要だ。学んだ音楽を並べるのは素人芸だ。プログラムの頭に今回の「私の十八番(おはこ)」、次に聴者の多くが知っている名曲。次に集まったみんなが参加できる歌や演奏を一曲。ここに「音楽づくり」によるみんなとの一体感が生まれるスペースが加わるといい。そして同じ仕組みでできている音楽を演奏する。最後に新しい音楽か、自分のコンサートのテーマになる音楽を一曲。そして短いアンコール曲。以上で十分だ。これなら毎月だって、数名集まるところなら何時でもできる。

 結婚式の延長の様な服もいらない。小綺麗で活動的な服がいい。10名前後の聴衆で十分だ。積み重ねて行くと、ファンが増え、チケットだって必要な企画も生まれるだろう。文化施設の大ホールまで拡がる企画もあるだろうが、原点はサロンのような場所で経費が掛からない企画がいい。学校や広場なども加わり、それらは立派な社会貢献活動になる。

 ・・・と説明しても「リサイタル」というイメージで、いきなり切符を夢中になって売って、何百人も集め二時間小ホールで頑張るひともいた・・・

※「音楽づくり」のコーナーのために、演奏が始まる前に1〜2時間、参加者と音楽ゲームや音楽づくりを楽しみ、その「まとめ」としてプログラムに載せると楽しい。

 

音楽をつくる

 最初に誤解が無いように申し上げておく。それは音楽をつくることは誰にでもできるという意見や、ピアノは誰でも直ぐに弾けて演奏を楽しめる、という表現が誤解を生むからだ。「音楽をナメているのか」と叱られそうだ。作曲も演奏も、何十年も努力をしても奥深く、誰もが納得がいくような名人の域に達するものではない、という至極当然のご意見を誰もが持っているからだ。

 管楽器でも弦楽器でも、一音気に入った音を出すのに何日もかかることがある。ピアノは指一本でも簡単な音楽は直ぐ出来るし、歌も聞きかじり程度なら直ぐ弾ける、ということは誰でも知っているだろう。

 子どもでもいい音楽は沢山つくれるし世に溢れているが、多くの人びとの心をノック(ヒット)する音楽は、そうそう生み出せるものではない。しかし、簡易楽器や打楽器などで、技術を持たない人びとが、自分たちの持ち合わせた情報や技術で音楽が生まれる構造をヒントとして共有すると、誰もが直ぐ音楽をつくり合うことができる、という例である。

 音楽をつくってみると、自分のなかにある音楽を仲間と共有できること、仲間の音楽を聴くことにより、他人の価値観を大切に出来ること、そして同じ目線でひとと寄り添えること、古典の名作や文化芸術に、またそれらをつくり、演じ、護る人びとをリスペクトできる、ということが生まれるのだ。だから、いい音楽がつくれたかも大切だが、様ざまなリスペクトが培えることが大きいのである。

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