Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

カテゴリー: 雑感 / MISC. (Page 2 of 5)

偉そうな声

 誰の声でも千変万化だ。環境や感情に溶け込んで、誰もが役者になれるのだ。

 エラソ~な声を出す人がいる。必ずピッチが低くなっている。押し殺した声にも思えるが、エラソ~、エラソ~と首の後ろの筋肉を硬めにして話している時がそれだ。ピッチを高くして威張ったら「喜劇」の場になる。女性でも低くなる。女性大臣が偉そうにしゃべる時は、必ずピッチが低くなっている。感情の起伏がある時は次第に高くなり、快楽の絶頂時はA(ドレミのラ)の音近辺で、それ以上の高さは悲鳴になる。

 疑っている声、ウソをついている声、敬虔な思いで話す時、怒りに震えている時、緊張感がまるでない時、説教する時、悲しみの時、人をバカにしている時、感動して出す声・・・声だけ聞いていても、人々の心の動きはしっかり聞き取れる。いや、そのくらい日常的に百面相ならぬ、百面声を人々びとに発している。誰もが「名優」だと言われる所以である。

催眠声質

 公的な演奏会のステージに、私は実演者として何回か立ったことがあった。  乱数表の数字を淡々と朗読する役目だった。
 終演後に外国人を含む音楽や声の専門家数名から、私の声について批評をいただいた。「声に催眠効果がある」という印象を持ったそうだ。

 それを聞いて私は多くの人びとを眠らせるコツを覚えた。滑舌が良くても読経のように淡々と読み、時々抑揚を加える。すると多くの人びとは目をこすり、眠らないような努力をし始める。疲れているひとは頭がガクッと落ちる・・・
 催眠療法や、マインドコントロールに近いかもしれないが、そこから先は工夫しなかった。何だか話すと眠られてしまうのも残念だったからだ。しかしこれは私だけの特性ではなさそうだ。心地良いビートと音程に多少の抑揚を付けて淡々と話し続けると多くの人びとを眠りの世界に誘うことができるようだ。
 反対に眠らせないのは、そういう音や響きを作らないことだが、一番は話の内容によるところであるというのは当然だ。

七変化と顔音痴

 主役が変装する映画があった。七変化、七つの顔、黒頭巾など、主役が多種多様な変装をして活躍する物語だ。子どもの時は、その変装が誰にもバレないのだと思っていた。少なくとも私には少し化粧だけでも変えられると別のひとに見えたのだ・・・それを顔音痴ということに大人になってから気がついた。

 顔を覚える、名前を覚える、直ぐに覚えて忘れない、それを間違えない・・・コミュニケーションの基本だ。友だちになる第一歩だ。警察官だけでなく、接客商売のひと、先生業には欠かせない能力だ。それが欠けているひとの苦労は大変だ。特徴をつかむことができないひとは絵の写生も怪しいことがある。絶対間違えないと思って声を掛けて恥をかいたことが重なると、知っているひとと顔を合わせても数秒確認の間が生じてしまう。

 絶対忘れないようにするには、そのひとの出している音を記憶する以外手がない。まるで野生の動物だ。それでも、待ち合わせの場所で顔が分からないでウロウロして相手に嫌な思いをさせてしまうことが何度もあった。

 方向音痴のひとは結構いるが、笑い話で終わることが多い。しかし対面で相手を判別する能力に間があると、友達としての信用を失うことになる。顔に興味が無いわけではないのに、ピントが外れた能力は何年経っても修復ができないできた。

学校の音楽・校門から入出

 音楽、校門を出でず、という言葉があった。今はポップスでも教室に入り、習った歌も校門から出て行くこともある。児童・生徒にはそれぞれ好きな歌手や歌がある。それを教室で学び、みんなと共有することに不思議な感覚を持つこともある。また一方的に勉強させられる歌に共感を持つことも大変だ。

 学習指導要領があり、何をどう教えるか決められている。それに合った教材はなかなか無い。畢竟、編集部員がペンネームで狙いにあった歌をつくることにもなる。それを「猫なで声でつくるのではなく」と私が評してヒンシュクを買ったことがあった。

 もう学校で教わらなくても社会にはひとそれぞれが愛する音楽があるからいらないのではないか、と平気で言う学識経験者がいる。音楽の大切さは誰もが知っているから、わざわざ教室で学ばなくても、という意見だが、学校で取り上げる学習という概念とシステムを忘れるとどうなるかを、私たちは知らなければいけない。

 いい歌は校門の内外に多数ある。出入り自由だ。社会でヒットするかだけでなく、どんなハンディがあっても自分たちでつくった音楽が校門を行き来するようにもなると、生きた音楽の社会との交流にもなって行くと思う。

文化事業のやり残し②

 学校と連携した文化事業に対して、結局私は十分な成果を上げられなかった。
 文化施設は教育の場では無い。学校とは違う。しかし柔らかな「社会教育」のひろばとして愛されてきた。公民館、文化会館と、それぞれに成果は上げてきていた。合唱だって、ブラスやオーケストラだって、日本の伝統文化でも実績は大きいし、誰も不満に思っている人はいない。

 「つくる」ということが大変だ。過去を保持すれば生まれるというものでもないし、破壊すればいいわけでもない。そんなに創造性を人々が求めているわけでもないだろが、文化を守るということはアグレッシブルな姿勢も必要だ。それを考えると億劫になることもあるが、学校の成果を一段高めるには文化施設の創造の場への開放が必要なのだ。その手立てがありながら、鹿鳴館時代の延長文化を追従しているところには、目が行き届かない現実がある。もったいないとも思いながらも私には限界があった。やり残してしまった感がある。しかし誰かがこれをクリアし、育ててくれるように思えるが、もう少し時間が必要かもしれない。次世代に期待したい!

文化事業のやり残し①

 全国の公立文化施設に文化事業の相談に伺わせていただいた日々があった。
 文化施設の希望は市民にアピールできるイベントの招致が一番だった。世界で、日本で、誰もが知っていて(それゆえ集客が可能、話題性があり、紹介があると割り引かれ、その結果実績にもなり、赤字が少額)企画の「招致」方法だった。要はツテを頼りのプロモート助言が多かったようだ。
 
 私の提案は、地元人材(地元の名士だけでなく、若い音楽仲間とそのつながり)の発掘と、情報だけでも交流して「何が生まれるか」考え、生み出すことだった。でも誰でも地元でなく、東京や世界の有名人とのコンタクトを望んでいた。
 結果的に有名団体の招聘でもいい。しかし「私たちの文化も伝統芸能だけが護られているだけでなく、新しい文化の命が生まれていて、そことの交流が無いのは“消費”だけだ」と私は思っていた。文化は消費と創造が車の両輪で、田舎といっても創造する心はパリやニューヨークと同じだ、というのが考えのベースにあった。でなければ青い目の文化が第一だと思う過去の姿勢と同じよう思えたのだ。
 全部の文化施設が同じ姿勢でないまでも、市民の文化会館への期待はがっかりするものだった・・・いや、本当は市民の文化の価値観は進んでいて、世界のポップスなどへの価値観は最先端で、それを文化施設が把握して、実行するまでに時間が掛かっているということもあるだろう。ポップスなど集客人数からして同列で論議できないこともあるからだ。
 

音楽大学・音楽専門学校

 「四年間、好きな音楽三昧で暮らして学士の資格。何が問題だ」と或る音大の学部長の言葉に、以前私はムッとしたことがあった。出口(卒業)で社会とのつながりが希薄なため、学んだ音楽が生かされる領域が少ないのに、学生時代が満足ならそれでいい、とは無責任だと思っていたからだ。

 舞台芸術のトップを目指す・・・千人に1名のエリートを育てることも必要だろうが、同じ価値観から外れた人びとの救済は考えていない。教師にでもなったら(教員の資格が取れる制度があればいいが)、町の音楽教室の指導者や、ブラスバンドの指導者になればいい、とうそぶく先生もいたが、音楽家が社会で果たす役割は多いはずだ、と私は思ってきたから育成のシステムからして問題だと考えて来た。

 親と毎日のようにケンカしている、という学生が何名かいた。「高い学費を払っているのだから○○だ」と責められるのだそうだ。一方親は「卒業したら何の仕事に就けるのか」「就職をお世話してくれるのか」と大学や学校側に質問してくる。

 「ひとそれぞれ才能にもよりますし・・・」「文学部を出ても、作家や文学の専門家になるわけではないし、サラリーマンになるひともいる」と他人事のような返事が返ってきた。

 もう40年も前から私は音楽雑誌に音楽大学の未来とその時の役割を描いてきた。舞台に立つだけでないコミュニティー・ミュージックで活躍出来る環境も手だてもみんなでつくっていかなければならないという話しだ。最近それを考える学科が出来はじめてきた。でも教える側が未経験な領域だけに成果はこれからになる。それを待たずに音楽を専門とする教育機関が弱ってしまうかもしれないと思っている。

神宮司 聖(じんぐうじ せい)

 昔の話しを載せるのはどうかと思っていた。何時も最新がいいからだ。でも一つ載せてみたくなった。自慢話ではない失敗談は大切だと思った。

「神宮司 聖」という名前を知っている人はごく僅かだ。私のペンネームで、大阪城が落城した時に、そこで祀られていた地蔵菩薩を授かり、昭和の時代に八王子でそれを御守りしていた行者さんが名付けてくださった名前だ。

 現代音楽とは別に、大人から子どもまで人びとに愛される「うた」をつくるひとにふさわしい名前が宜しい、というのが理由であったが、しかし「神様のお宮を司る聖人」とは恐れ入ってしまった。顔から火が出て、穴があったら入りたい気持ちもあったが、拝命には意味があるだろうと感謝した。

 丁度、宗教団体の愛唱歌をつくらせていただいていた時期だったので、早速名乗ってみたが、一番大きな出会いは歌の女王「美空ひばり」(日本コロムビア)嬢との仕事だった。

 プロデューサーは「ひばりというと英知の限りをつくして難しく書いてしまう。うんと簡単な、誰にでも歌えるうたをつくって欲しい」という依頼だった。

 電撃トレードで阪神から巨人に移った江川 卓が話題になった年、ひばり嬢が低迷期で世間さまから叩かれ苦しんでいた年にリリースされた。

 簡単なうたで多くの人びとに喜ばれるなら最高の慶びだが、しかし大きく外れてしまった。「センセ、私と組んでソンしたひといないから」という励ましは嬉しかったが、簡単なうたがつくれない聖がトコトン名前負けしてしまったことは、あらゆるひとびとに申し訳無かったと今尚ながら思っている。

 ※ CDでも売られているが、Youtubeで美空ひばり「昭和ながれ花」がのっている。当時の B面「ふる里は遠い空」も出ているようだ。

謹賀新年

 あけまして おめでとうございます

 本ページにご訪問くださった全ての人びとに感謝し、ご多幸をお祈り申し上げます

 これまで「一流の劣等生」である私の慢心創意*による音楽を中心に、馬脚を露わしながら文化芸術の一端を語って参りましたが、今年もみな様とより強烈に交流させていただきたいと願っています。

 (*慢心創意は満身創痍からの造語)

故事から新事

 詩人の谷川さん、波瀬満子さんたちがつくった「ことばあそびの会」は以前ここでふれたことがある。一つの言葉やその切っ掛けから連想する世界をふくらませるのは、音楽をつくることと同じで、随分トレーニングさせてもらった。ダジャレも多く、言葉を大切にする人びとからは嫌われたが・・・

 「青天の辟易」というのがある。晴天時に突然雷が鳴る(霹靂)ことと同じで、突然何かが起こることにうんざりするというシャレだ。

 「君子危うきに近寄らず」という言葉と「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という故事がある。しかし「虎穴の出口で虎児を待つ」となると意味深で、様ざまな場面が空想できる。

 子どもの頃に「鳴かずんば 鳴くまで待とうホトトギス」『・・・鳴かせてみようホトトギス』『・・・殺してしまえホトトギス』という有名な句に出会った。家康・秀吉・信長を良く表しているといわれた。それを「鳴かずんば 自分で鳴こうホトトギス」と言って、子ども仲間に受けたことがあった。ところがその後、同じことを言って知事になった人がいた。有名人の宣伝文句に私はすっかり白けて、以後封印してきた。

 同種のあそびは一冊の本が出来るほどあるが、その内容に価値があるのではなく、温故知新はその種のあそびから誰でも面白い創造への誘いがあるように思われる、というサンプルとして思い出した。

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