Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

カテゴリー: 雑感 / MISC. (Page 3 of 5)

校内流行歌禁止

 校則の見直しがニュースになっている。私の子どもの頃だってヘンな校内ルールがあって、校内で社会を学ばせてもらったことが多かったようだ。
 いつの時代のどの学校にも「聖職」を地で行く先生がおられたなか、「愛のムチ」(暴力)を振り回す先生もいた。明確な理由もなく坊主頭にされたし、あれはイカン、これはダメの、でシバリまくり、先生は児童生徒を護ってくれない、裏切るのは当たり前で味方や理解者にはならないのが大人だと教えてくれた。

 ヘンな代表例が「流行歌を校内で歌ってはいけない」という指導だった。生徒は世の流行に敏感だ。歌だけではなく何でも話題に触れてマネてみたいモノだ。ところが流行歌を歌うと、映画館に行くと不良になる、というのが理由で禁じられていた。一時ビートルズの歌やカッコをマネるのは禁止、と教育委員会が文句を付けたことは有名な話しだ。でも子どもの個性はそれらのカベを乗り越えて価値観を豊かに培って行ったようだ。

 みんなで考えつくった社会のルールは護らなければいけない。しかし流行歌を含む文化芸術などの個人の選択は、先生が禁止する行為は人権無視にあたる。
 ルールはドンドン破られるから面白いのだ。そう、名曲にある作曲者の作品番号は「前科何番」を意味しているから、今でも新しいのだ。

老化と新化

 老化現象は凄まじく楽しい。誰でも高齢になるに従い、主にアナログの身体部は劣ってくる。厄介なことが多くなり、その手続きが煩わしくなるものだ。高齢ドライバーが勘違いする事故も多いが、それはデジタルの信号を送ってもアナログ部に伝わっていなかったりするからだ。

 高齢化は指先、口元からといわれていたが、目も耳も怪しくなる。ところが人によるのだろうが、今まで見えなかったモノが見え、聞こえなかった音が聞こえるようになってくる。別に霊界の呼びかけが分かるワケでは無い。何を考えてどうつくりたいのか、作品づくりの瞬間が見て取れることもそのうちの一つだ。音楽の表現でも、みんなが理解できる共通言語も必要だが、聴いたこともない手で知らなかった世界に誘ってくれるのが芸術の面白いところだ。しかしなかなかそんな世界は滅多にお目に掛からない。結構バレバレな表現で誤魔化しているひとが多いモノだ。

 聞こえなかった音たちが浮かび上がってくる、ということは個々の楽器やアンサンブルで呼び起こされる「倍音」の上に現れる新たな音の組み合わせのことだ。音には純音もあるが、大体様々な倍音が一杯詰まっているものだ。それをどうひとは感じ、表現して、私たちは空間に響く音たちと触れ合っているかが音楽の醍醐味なのだ。名人たちの倍音づくりも面白いが、実はヘタな人のアンサンブルの高周波成分のぶつかり合いの方が面白い時がある。その周囲の聴力は衰えたかもしれないが、可聴範囲で聴き合える倍音のぶつかり合いによる新次元は、気が付いたら高齢者の楽しみの特権かもしれない。

名村 宏

 作詞家の「名村 宏」氏をご存じの方は少ないかもしれない。主に子どもの歌の作詞をされていた。キングレコードの専属だったこともあった。私は90年代にキングのディレクターの紹介でお仕事をさせていただいた。

 亡くなられて15年以上経つだろうか… ご自分の誕生日のお祝い用に缶ビールを冷やしておいて、飲む前にお風呂に入って、そのママ一人で乾杯することもなく亡くなられた。

 公表されている氏の作品リスト内には、私は多くの子どもの歌を当時書いていたことが分かる。それを氏より十年程早く無くなった奥さんが、新作が発売されるといつでも何処でも何百回も歌い続けてくださった話しを、奥さんが亡くなられた後に氏よりお聞きした。ご主人のお仕事も深く愛され暮らしておられた証拠だと私は思った。と同時にたった一人でも深く愛して歌ってくれ続けた人がいたことが私には誇りだった。

 合唱組曲もつくらせていただいた。You Tubeで「蝶の谷」を検索すると合唱コンクールで歌われた「岡崎市立矢作南小学校」の熱演を聞くことが出来る。

ジュニア・オーケストラ

 半世紀前には考えられなかったステージが全国で展開している。小中高生を中心としたオーケストラが各地で育っていて、その成果が評価され始めていることだ。全国のそれらの団体の多くを私は拝聴して来ている。

 四半世紀前でも、オーケストラに準じた音楽団体が生まれていたが、まだ微笑ましいアマチュア団体というレヴェルだったように思われる。そこから育った子どもが世界を闊歩する実績になった人もいたが、そこで習得した技術のクセがその後の才能を閉ざしてしまったこともあったようだ。

 今は違う。プロの、しかも一流オーケストラの主席奏者の指導チームが直接子どもを指導している団体が増えた。ママごとから発展した大人と同じような音楽のコピーがステージに拡がっている。そこに賞賛はあっても文句は無い。それはステージの披露を踏襲した成果の表れだが、演奏も出来ない子どもとの共有に向かう手だても残しておかなければいけないような気がしている。鹿鳴館の時代ではないのだから。しかし、指導者にそのヴィジョンがないので、なかなか新たな音楽の共有が、技術を持たない人びとと出来ないでいる。 SDGsの時代、その手だてはすでに学校や社会でも実績が積まれていて、これからの半世紀に楽しみが拡がって行くように思われる。演奏指導者はそこが今後の課題となっていくように思われる。

東京文化会館チェンバーオーケストラ

 東京文化会館が主催してきた「東京音楽コンクール」の上位入賞者が集い、室内オーケストラの演奏会がこの11月26日に同館で開催された。

 文化会館がオーケストラや合唱団を持ち、市民に質の高いプログラムを提供する時代になってから大分経った。東京でも実現した形だが、他と異なるのは国際的なコンクールを実施して、その受賞者にステージを設け、受賞後の各個人の活動を支援してきて、更に室内オーケストラに発展させているところだ。

 コンクールで人財を発掘させるだけでなく、その後の支援を続けている会館の活動は素晴らしいことだと思われる。

 演奏曲目は、シューマンのピアノ協奏曲、ベートーヴェンの交響曲第二番等だったが、26人の編成は新鮮で豊かなアンサンブルを聴かせてくれていた。それは在京のオーケストラ団体が再編する時にも参考になり、大都市で同規模のオーケストラが続々と誕生し、文化芸術活動ができる時代になっていく予告になったようだ。とにかく優秀な若手音楽家が多数在住している都市が多いのだから・・・

 アンサンブルをまとめた指揮者は、国内外で大活躍の若手のひとり「三ツ橋敬子」氏だが、本公演だけでなく、その後「オーケストラ・プロジェクト」などの現代音楽プログラムの日を拝聴しても、作品・オーケストラの生命を瞬時に捉え、ステージを越えて音楽を人びとに開放させてしまう力は、その人気・実力をもってこれからの音楽界を至福の世界に誘ってくれる気がした。

らしい〜のような音楽

 私は元々「〜らしく」などという意味不明な区別にはアレルギーがあった。
何が子どもらしいか、高校生らしい野球とは何か、男らしい、年寄りらしいとは何をさしているのか、全て意味不明な言葉だと思っている。
 
 企画制作責任者の範疇だが、酷い注文も時としてあった・・・「三善 晃のような合唱曲が欲しい」(なら、三善先生に委嘱すればいい)。「今売れている全員合唱作品の代わりにふさわしく・・・前奏4小節、歌い出しはユニゾンで、次第に盛り上がっていってクライマックスに・・・」、さすがに断った。注文者がそのように書いたらいいと思った。
 ワーグナーの楽曲のママでいい、アニメ創作のイメージが湧く、という注文を断れずに書いたことがあった。アレンジ部分より原曲のママのところが音楽として迫力があったが、そんなことより作家としてはマイナスな結果だったと思っていた。

 教団の青年たちが南方の大東亜戦争の被災地への慰問に行った。趣旨は素晴らしいが、みんなで歌う歌は戦時中の軍歌の替え歌だった。それでは慰問にならないので、踏襲した新しいみんなの歌を創って欲しい、という主催団体の企画に参加して愛唱歌を何曲か書いた。
 創作当時はそのお仕着せ賛歌も団体員に喜ばれたが、青年諸氏のその時代の人気ポップスとは異質だった。企画自体が問題だったかもしれないが、本当にいいことをしたのか疑問が残ったままになっている。

無視の日

  6月4日は「虫歯予防デー」だが、その後「虫の日」が加わり、最近では「無視の日」というゴロ合わせの日まであるようだ。

 人を意図的に無視する行為は、陰湿なイジメの一つだ。しかも狙ったひとを誰でも手軽に仲間から葬り去る手になっている。子ども社会でも、大人から組織でも日常茶飯に行われている。「村八分」という行為は今も現実的にある。 
 その被害は深刻で、人間関係はもちろん子どもの深層心理まで病魔の専有物となっている。だからイジメによる「悩み事相談」の記事が其処彼処にある。しかし問題の種は千差万別・十人十色で複雑怪奇な様相に特効薬は無いようだ。
 加害者は誰に何をしたのか忘れても、被害者の心の傷は一生癒えないものだ。癒えないだけでなく、自分も知らずに弱いものをいじめる智恵を身に付けてしまうことになる。私は物心ついた時からあらゆる機会に遭遇して来たので、その被害の深さを承知している。今でもどんな理由であれ、シカトしたヤツとは二度と信頼関係を持つことはない程強烈な意志だけが残っている。

 悩みの基は、人と仲良くすることを子どもの頃から躾けられていることだ。
 シカトされて悩むひとは、何処か自分にいけないところがある、嫌われる自分がいけない、と責めたり何かを反省したりしてしまう優しさを持ち合わせているから、傷が深くなるのである。どんな理由にでもシカトするヤツがいけないのであって、被害者が不幸を味わう理由は全くないのである。
 窮鼠猫を噛む怖さを秘めていた方がいい。その毒と使い方はここでは記せない。加害者は弱い消え入りそうな人にも毒があることを知るべきだ。その肝の据わりだけでも、みんな確と(しかと)気が楽になるはずだ。

ピアノでワークショップ

 ピアノで音楽ワークショップを展開するのは、なかなか難しい。ピアノがあれば音楽の様々なニーズへの応えや表現が可能になる。しかし楽器を動かせない、参加者の音楽での反応や顔が見えづらいことが問題になる。音楽を聴かせる、歌の伴奏をする時には威力を発揮するが、音楽づくりなどには余程工夫をしないと参加者のサポートに向かないことが多い。

 十年程前に北九州の文化施設を私はフラリと訪れたことがあった。そこで子どもと音楽家がワークショップを楽しんでいるスペースに遭遇した。アップライト・ピアノを壁側に向かって弾きながら、子どもの歩みで音楽を感じるあそびで湧いていた。簡単なバンプ(ブンチャ、ブンチャというリズム)を弾いているのだが「何という音楽だ」と感動するほど素晴らしく我が耳を疑った。私はその時知らなかったが「佐山雅弘」というジャズピアニストとその仲間による、子どもたちとの音楽ワークショップ企画だった。

 佐山さんは18年秋に亡くなられた。でも私はその時の出逢い以降、彼の音楽を聴きまくっていた。寺井尚子さんのジャズヴァイオリンとの協演や彼のピアノトリオに感動し、分かりやすくクラシック音楽をも包括するクリアな演奏とケレン味のないヴィルトオーゾは特筆だと思っていた。音楽の実力は、ライブやCD・DVDだけでなく、子どもとのコラボの瞬間に輝くのだと今でも思っている。

録音の妙

 同じ楽器編成。ここでは3〜4名の楽器アンサンブル。同じ場所で同じマイクを立てて、同じ条件での録音を順番に三人が挑戦した・・・録音した音楽を聴いてみた。これが三者三様で全然違った音楽録音になっていた。
 エコーやフィルターなどのお化粧をしないスッピンのママの音楽だが、録音した人の個性がしっかり残っていた。ひとりはシャリシャリした少しやせた音になり、もう一人はアンサンブルを生で聴いたママの響きがして、最後の人は高音や低音がふんわり伸びて行く感じで録音されていた。
 基は顔の輪郭だ。いくら化粧をしても輪郭は変わらない。三者はそれぞれプロだから、後は企画や作曲などの制作者や聴き手の好みとなる。

 私たちが携帯の簡易録音機材で同じ素材を録音しても、微妙に違って録れている。録る人の目(心)が何処にあるかで、変わってくるようだ。
 今までで一番驚いた録音は、フランス国籍(現・日本在住)のプロデューサーが「秩父夜祭」を録音して、日本の文化をヨーロッパの放送局で発表した作品を聴いた時だった・・・普通日本人が見聞する音ではない、竹が山車の車と軋み合った音の上で屋台囃子が鳴っている音風景だった。

 私の録音時のリズム隊はドラムスのキック(バスドラ)のつくりで決まった。録音技師の腕が一番だが、キックを固めの音につくり、それに太鼓類を順次重ね、ベースと合わせ、ギター・ピアノと加えて行くサウンドづくりだった。

宮本む○し

  JR西明石駅の商店街に「宮本む○し」という定食屋さんがあります。初めての町を何の目的も無くフラリと降りて出逢ったお店です。そして名前を見た瞬間に「面白い」という思いと「宮本武蔵」というイメージが同時に重なりました。しかし自宅に帰ってきて、宮本むさしではなく、何だったか思い出せなくなりました。すると、む○しの○に様々な文字が浮かんできて・・・むいし、むかし、むりし、むなし〜・・・「拙者、宮本むこしである」という映画のシーンを想い浮かべるとヘンだし、「宮本むごし」となると意味が変わってくる、など文字の組み替えを暫し楽しみました。そのうちに「宮本○さし」だったか記憶が怪しくなってきました。宮本くさし、ではなかったようだし、など連想は続いていきました。

 そういえば「佐々木小次郎」を「ささき しょうじろう」と読んだひとがいました。剣豪「こじろう」とは随分イメージが違って、昔の近所のおじさんを思い出す名前になったようでした。
 (文中の例に正解があります)

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