坪能 克裕 公式ウェブサイト Ⅲ(2001〜)

Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

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音楽は仙骨から

 スポーツや武道に限らず、音楽も同じで身体を使い表現する基は「仙骨」にある。腰を使う、腰から動かすとよく言われるが、骨盤全体を言うのではなく、その中央にある仙骨の使い方が重要なのだ。このハート型の骨は動かないように思えるが、鍛えると動くのである。そこから全身を動かさないと、筋肉や筋を痛めることになる。無意識でも偉大なアスリートは鍛錬で使う術を知っている。球技などでもタマを捉えるのは仙骨と向き合うからで、音の捉え方も同じなのだ。

 ピアノを弾くひとは全身で弾いているように見えるが、小手先や上半身だけで弾いている人が多い。歌でも楽器の演奏でも同じで、頭でなく仙骨でリズムやハーモニーを感じ、それが音楽の豊かさを感じる基になるのだが、クラシック音楽家のベテランではそれが分かっているひとは少ない。

 このトレーニングは「掌鉄球」(ソフトボールの球に似た少し重い球)を両手で包み持ち、仙骨からゆっくり上下左右に動かすところから始める・・・これは私が発見して実施したことではなく、マレーシアに住んでいた和道<合気道の一種>の達人、故・早川師父(シーフー)から学んだ事だった。私なりには、確かにゴルフでも野球でも球の飛び方も違って来たし、音楽の波動をみんなと共有する術としては、自在な表現ができる技術だと感じた。しかし私の後進の指導に対する受け持ち講座は「作曲」であったため、音楽でこの技術を受け継ぐひとはいなかった。

天才の芽

 子どもは自分で考えて表現する術は、本来天才だと感心する程の力を持っている。創造は模倣からと言われているが、大人の方が物まねの段階で留まってしまっている人びとが多ようだ。そして子どもの可能性や子どもの新発見、新表現は、固定観念の強い経験豊かな大人が評価出来ないでいる。いや、潰してしまっていることが多いように思われる。
 ただ、子どもたちは情報量が少ないことと技術が未熟な点は否めない。そこを必要に応じてサポートして差し上げるだけで子どもは体得して自由に表現していくのだが、大人は子どもの幸せを願いすぎてお節介に向かうことが多いようだ。もちろん情報や技術というのは、何歳になっても常に習得していかなければならないし、精神的な熟成に早道や楽な手だてはないから大変だ。

 例を一つ。子どもに増音程など歌わせてはいけないし、歌えないとされていた。ましてそれをテーマに「音楽づくり」をするなど、絶対に無理だとも言われていた。譜例にあるのが1998年に小学校の子どもたちと音楽づくりをした時の拙作のテーマだ。20世紀の大作曲家がつくった十二音音楽を、いとも簡単に穫り入れてオリジナルを子どもたちの複数チームがつくりあげて行った。特に驚いたことは、子どもたちがチームを解散した後、テーマを歌いながら帰っていたことだった。それも歌いにくいとされる音程も正確にスキャットで歌っていた。

 声の出し方でも、画一的な教え込み出なくても、自分たちがカッコいいと思う表現で歌っている。ただどうしても評価を受けたりや褒められたい気持ちがあるので、大人の顔色を見てしまう機敏さが問題になることもあるが、子どもたちの自由な表現を黙って見聞きしていると、宝石の原石のような耀きで音楽を楽しんでいる場面に良く出会う。

読み聞かせ

 「読み聞かせ」という言葉は日常的に誰もが使っている。読み聞かせる、読み聞かせてやる、という凄い言葉に誰も疑わない。公民館活動や学校でも展開されていて既に市民権を得ている。どうして「朗読」、または「朗読プレゼント」とか「朗読交流」ではいけないのだろうか? ステージに立ったような錯覚がそういう言葉を生むのだろうが、でもその一番上手いスターはそれぞれ子どものお母さんだったりしているのだ。

 もう一つ、文化会館が主要文化事業企画の一つに挙げている「アウトリーチ」というのがある。これも芸術が素晴らしいので普段触れることのできない人びとに出向いて行って見聞させる事業だ。上から目線の言葉はもう要らないのではないか? と提言を文化会館にしたことがある。簡単な話し「出前公演」であり、文化会館を神社にしたら、参拝できない人向けに「お御輿興行」する企画になっている。それが文化会館の宣伝も兼ねるなら「キャラバン隊」にもなるが、出前が美味ければ本店に食べに行かなくても済む話になる。ともかく偉そうな言葉でなく、重要な企画だと思うなら文化会館のステージと同じ品質が伝わる「スペシャル公演(○○編)」の方が立派だと思う。

波瀬満子

 波瀬満子(はせ みつこ)を知るひとは少ないかもしれない。亡くなって十年程になるだろう。実力も人気もあった奇人・変人の天才だった。文化芸術や芸能界には、中身が無いのに目立ちたがりの芸人が多いのだが、波瀬さんはお笑い芸人でもないのにステージに立った瞬間、どこか可笑しいし怪しく、瞬時に観客の目を集めさせ「ことばあそび」の世界に誘ってくれるのだ。とにかくボディランゲージを加え「あ・い・う・え・お」(拙作の音楽で)と踊り出すかと思うと、ことばあそびによる早口言葉や朗読劇 、一人芝居で詩の世界を展開させていくのだった。

 もう45年も前に現代音楽のイベントのステージで、私が乱数表を無表情に淡々と読み上げている隣で、天気予報を様々な感情を込めて表現していた・・・悲しそうに泣きながら読んでいるかと思うと、突然笑いながら、怒りながら、また歌舞伎調のように、時にはひとをバカにしながら、読み上げていくのだった・・・
 ヘンな女優と出会って以来、沢山の仕事をご一緒させていただいたが、このような天才女優は他の追従を許さない国宝のようなアーティストだった。

 半世紀前に、詩人の谷川俊太郎さんと「ことばあそびの会」をつくり、たくさんの書籍やステージ、録音・録画のお仕事をしていらした。時には人形と共に「あらま先生」となり全国を回り、晩年は NHK・Eテレでことばあそびの番組に出演されていた。とにかく企画からも TVの画面のワクからもハミ出る活躍に、子どもから大人までビックリしながらも楽しませていただいたようだった。

 キングレコードの「ことばとあそぼう」シリーズも私が音楽を担当させていただいて凄かったが、ブリタニカ版の同名のそれは最高傑作だと思っている。しかしもう手に入らないが、持っている人は「お宝鑑定団」行きだとも思っている。

悪党団員の家族

 映画などで見られる、悪党組織に立ち向かうヒーロー物語に登場する悪党団の団員それぞれの家族はどうなっているのか、どの物語でもズ〜と疑問に思って見ていた。
 何百人も制服を着た、主に男たちが黙々と一糸乱れずボスのために働きヒーローにやられて死んでいく・・・どうやって組織に加わったか、給料や契約はどうなっているのか、賃金を貰ったら何時何処で何に使っているのか、各種保険や保証は護られているのか、恋人や家族がいないはずはないのだが、すると秘密は漏れないのか、脱走するヤツはいないのか・・・しかし大体がそんなことを考えるヒマも無く殺されていく。殺されなくて怪我をした人たちは何処の病院に収容されるのか、その後のリハビリはどうなっているのか・・・考えたら切りが無いほど興味は尽きない。
 日本のチャンバラ映画でもそうだ。切られたらピクリともしないで死んでいくが、そう簡単に絶命できるはずはないと思っていた。切られた人の葬儀やお墓はどうなったのか、残された関係者・家族はどうしたのか知りたかった。切られた人にも小説一冊分の人生があったろうが、そこに光をあてた物語はそうないものだ・・・
 など考えて映画を見るヤツはいないかもしれない。でも子どもの頃からそこを知りたくていたが、悪党団員の日常はいまだに私には理解できていない。

東京音楽コンクール受賞者コンサート

 ‘90年代後半、東京文化会館の館長に作曲家の故・三善 晃先生が就任された。

 市民参加企画や市民文化育成事業が公立文化施設で開花していく時代だった。「ちょっと手伝ってよ」と三善先生に誘われ、次世代育成企画など話し合っていた。その頃から若い演奏家のための国際コンクールを三善先生が提案され、実現へ向けた努力をされていた・・・それから四半世紀が経ち、21年1月11日に同館大ホールで「第18回 東京音楽コンクール 優勝者&最高位入賞者コンサート」が開催された。コンクールが持つ功罪はあるだろう。それは別途語るとして、演奏会の成果と出演者の力量は凄まじいモノがあった。設立時とは隔世の感があった。ピアノ2名、トロンボーン、そしてヴァイオリンがコンチェルトを演奏。出演者が高校生であっても、聴衆を唸らせる世界を提示していたので、凄い世の中になったと私は思った。

 これからもっと実績を積んで、世界を席巻していくことになると思われる出演者たちだが、いまこの若き演奏家が表現する世界を全国の各地域の文化施設でも聴いていただきたいと思った。一握りの有名人も素晴らしいけれど、これからの音楽界が誇る若い演奏家の財産は遜色のないものなので、受賞者の世界を多くの人びとに共有していただきたいと思った。

 全曲オーケストラとのコンチェルトだったが、その演奏も素晴らしかった。角田鋼亮指揮・新日本フィルハーモニー交響楽団。司会は朝岡 聡。挨拶、場面転換のつなぎ、簡単な曲目解説、短時間に急所をついたスマートな表現は、多分この種の企画を担当されたら日本一だと思うくらいの耀きがあった。

コミュニティ ミュージック

  99年秋に「コミュニティ ミュージックをつくる」という拙著(音楽之友社刊)を発売していただいた。メイン タイトルは「文化会館の聖母<マドンナ>たち」で、文化会館を基軸に市民文化の創造的な活動の発信記録を本にしたものでした。その真の狙いは市民自らが音楽創造・表現・評価ができて、文化の自給自足から様々な価値観の認識・交流が叶うことの意味と手だてにありました。

 一流の芸術を鑑賞することは素晴らしいことです。人の価値観は様々だから一概には言えませんが、消費としての文化と、創造の文化、保護・育成する文化は同等で、それらの結びつきの手だてを持っているのが文化施設でなければならないと思っていました。

 全国には地元市民の創造的な活動を当然の様に育成しながら、世界の一流芸術に触れる機会を確保している文化施設が多くなってきました。芸術も元はコミュニケーションで、コミュニティ ミュージックの育成が根源になければならないのだと思っています。その実践と成果は少しでも仲間と築き上げて来ましたが、当時は殆どの音楽関係者・文化施設の人びとは何のことか全く理解出来ていなかったようでした。これからはそれが当然核になると私は思っています。

図形楽譜

 20世紀の後半に様々な図形楽譜による音楽作品が世界各地で生まれ演奏されました。今では過去の作品や新たな図形楽譜の作品が演奏されることは少なくなりました。五線紙に記された音楽の方が再現しやすいのかもしれません。

 本 Webサイトの表紙は拙作の図形楽譜です。「スカイプロズム」「リンの詩」をデザインしたものです。私は気が付いたら図形楽譜でもたくさん音楽を発表してきたひとりになったようです。自慢ではありません。キケンな実績なのです。今まで誰からも褒められたことがありません。むしろ演奏家や作曲家と友だちになれない要素を持っているようです。再演してくださった演奏家を除いて共通の苦言を聴き続けてきました。「私は音楽を頼んだのに絵を描いてきた」。そして仲良くなれたのは子どもさんたちが多かったようです。音がルールのなかで、そのルールも自分たちでつくれる、自在な音楽を生み出すことが五線譜で記された音楽より面白く楽しめたからです。

 「万華譜」も同じ原理ですが、「スカイプリズム」など音が空間に浮いていて、演奏者が見る(感じる)角度によって音の存在が変わってきて、その感じた音たちと触れ合うことがいいのですが、五線譜に書かれた音を忠実に演奏することの名人諸氏には苦手だったようです。例をひとつ「スカイプリズム」で。三角錐になっています。その△面に音を指定します。三面の内の一面(一辺)を先ず指定します。ドとソにしました。するとそこから三角錐の中を見るとひとつの音がミの付近に浮かびます。もう一面は前述した面のひとつドとオクターブ上のドとします。するとこの面から見ると先程の音が ファの付近に見えるかもしれません。三面目の線を今のオクターブ上のドから三度下のラにすると、その面から見た同じ音がシ付近かもしれません。見る面により音の浮遊が変わって来ます。演奏者は三角錐を回しながらピアノで奏でられるドレミ以外の音を含む浮遊している音を紡いでいくのです。作曲者の描いた指定音よりもっと自由な音たちにふれ合える「即興」がそこにあるのですが、演奏者は心配で自分で五線譜に事前に書き込んで練習しています。そこが難しいところで、また評判が悪いのだと思いますが、私は宇宙の星たちがさまざまな「窓関数」で自由に歌っているところが好きなのですが・・・

 誰からも教わらなかったし、次世代の作曲家の誰にも伝えられなかった領域のようです。この種の作曲では親分無しの子分無しですが、しかし全く偶然に生まれたわけではなく、私が最初に和声や作曲を学んだ水野修孝先生からコンセプトを培ったように思っています。

万華譜

作品について

 図形楽譜による箏と打楽器のための作品。正方形に書かれた楽譜は,90度ずつ傾けて4回演奏され,そのたびにまるで万華鏡のようにそこに表された音の世界が変容する。どの角度からはじめてもよいし,2人の奏者のテンポも決められていない。

 しかし2人の奏者は互いに音を聴き合い,互いに反応し合って曲を進めていく。2つの歌は2つの流れのように時にはからまり合い,時には追い掛けあい,一致・不一致を繰り返しながら進んでいく。箏や打楽器の様々な技法と音色は,まるで声色を使い分けているように2人の演奏を彩っていく。

 この楽譜をもとに,多様な音色や演奏のできる楽器を選んで,楽器を使った対話を楽しんでみたい。

  坪能由紀子<音楽教育>:本作品の企画制作者(委嘱)

プログラムノートより

文化会館の波動④

  文化事業のコンセプトは「魔法の学校」

 全国の公立文化施設の旗館といわれている「東京文化会館」とは御縁が続いている。90年代に館長だった作曲家の故・三善 晃先生と文化事業の市民文化育成を協創させていただいた。そして今も外部評価委員として意見交換をさせていただいている。それは上から目線で助言する役ではなく、唯々文化会館の事業の理想郷を感嘆させていただくために参加しているようなものだ。
 都から文化事業の助成を全く受けていないのに、質も量も他館の水準を超えている。貸し館事業も兼ねながら自主事業の数も多い。オペラなどのオリジナル作品の制作・上演までこなしている。人気アーティストのファンで満席な企画だけでなくホールの事業そのものにファンがついている。最先端の社会包摂企画や育成プログラムの充実は世界に通用している。音楽家から企業までのマッチングが優れていて、管理運営を含め絶えず創造的な展開の数字を上げている。これらは会館の個々の優秀さとチームプレーの優れた成果だと思われる。文化会館の理想に触れて見たいひとは、会館が最近まとめたそれらの冊子をご覧いただくと感動が伝わっていくと思われる。
 これらは私が理想としてきた世界を具現化していただいたようで、本当に嬉しくなってしまう。私には至らなかった事業もあったが、私が展開させていた事業コンセプトは、90年代の中頃から埼玉県の越谷市のホールで展開させていた「魔法の学校」にあった・・・子どものなかに本来持っている“魔法”を見つけて自ら育てる。大人は技術を教えるのではなく、必要最小限のサポートが出来るように寄り添っている。大人のサポーターは多種多様なプロがあたり、その実力は後に東京大学教授になったり、世界に羽ばたくアーティストだったりした。ここでは”ダメ”なことはなく、子どもたち自身が“カリキュラム”も考えてつくっていった。そう、楽器をつくるスペースから生まれたものが、世界の一流を理解して異なった価値観との交流につながって行ったのだった。地域文化振興とはそこが原点なように思えたのだ。町の魔法使いから、どのくらいの次世代の魔法使いが生まれ育ったか、その成果が問題ではなく、コンセプトが生き続けていることが面白いと私は思っている。

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