坪能 克裕 公式ウェブサイト Ⅲ(2001〜)

Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

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倍音を聴く

 自然界は極低音の上で、倍音が整然と、またはぶつかり合いながら響合っている。
 都会の音は、低音からしてぶつかり合っているので、倍音が身体に刺さるような暴力と化している。高速道路、工事現場、ビルや家庭から出る音が、複雑に絡み合っていて、人の全身に襲い掛かっている。よく市民が病気にならないと私は感心している。海や山のあるところに行くと、大地の底から支えている極低音の上で純正を基にした自然倍音が透明感を持って響き合っている。だから身体が音の綿に包まれたような心地良さを感じて心まで休まる。

 音楽は倍音の積み重ねの変化で、ひとは意識をしなくてもそれに包まれていることにより心地よさを知っている。雅楽も倍音の響きの中でメロディーが浮かび上がるようになっている。人数の多い声明では、ぶつかり合った音たちが、天空で絡み合って時々光明がさすように響き渡る。

 拙作では、自然であり私が望んだ倍音によって望まれる響きや歌が生まれる仕掛けが多い。録音すると消えてしまう音もあるので、生の演奏がいいに決まっているが、それでも断片的に聞こえることもあるので紹介させていただく。
 とにかく Webで公開してくださるという友人の作曲家が採用してくださったが、タイトルが検索に引っ掛かりづらく、何年経っても訪問いただけないのが残念だった。

 宮本妥子さんのヴィブラフォーンによる「Celestial- Vib」(天空の響)がそれである。

文化事業の基・失敗の基

 公立文化施設が市民と一緒になって事業を展開させ、文化都市形成の一助になるかの基本は一つしかない。私たちが文化都市にする、などの思い上がりでは決してできない事業で「市民の心と努力をささやかな力で支える役」が文化施設だからである。
第一に、市民の意見を「聴く」ことだ。そしてそれを「生かす」ことだ。ところが市民は予算などの資金を持っていないので、その生かす術の一つに資金を含む「支援する」ことが加わるのだ。街には人材を含めた「財産」がある。それを生かさないで、オリジナルを産み出そうと思うこと自体誤解がある。街の人財にはクセがつきものだ。それを包括して新しい交流を生み出すことが一番大切なことなのだ。その結果、海外を含むクラシック音楽やポップスの一流アーティストを呼ぶという興行を成功させるエネルギーになるという仕組みだ。

 この仕組みは何処でも誰にでも何回も話して、実践して、討論して理解していただいてきた。そして各地でも成果を上げてきたが、大元で失敗していた。この簡単な理屈が誤解を生んで行ったことに私はショックを受けていた。

 それは芸術監督を引き受けた街には「少年少女合唱団」があった。その存在は大きく、街にも文化施設にも、大きな財産になるはずなので「どこかご一緒に協力できることがあったらしましょう」という投げかけだったが、交渉した責任者は決裂させて帰って来た。畢竟、会館の公募で子どもたちの合唱を立ち上げることにしたが、どんなに立派な団体を育てようとも、これまでの財産団体を壊してはいけないのだ。その後、その団体は解散してしまった。十人の味方を得るよりも、一人の敵を作ってはいけない、という鉄則を破ったことになる。恨むひとは家族から卒団生まで何千人にもなるだろう。これでは基礎工事は欠陥であったと言われても言い訳はできない落ち度だ。

 チームは一人の力で動くものではなく、事業のコンセプトの相談は会館責任者が分担して各地の相談にも対応していた。そこで「こんなチッポケなステージじゃクラシック公演は無理だ」などの助言をして、壊れてしまった事例が沢山あった。私が全部直接相談を受ければよかったのだが、私の脇の甘さをつかれた形で、取り返しのつかない失態を演じていた。これに限らず、初手でボタンを掛け違うと、どんな立派なことを言っても花の季節はなかなか訪れないことになる。

「蝶の谷」・岡崎市立矢作南小学校

 自作品が Youtube に載っていることがよくある。アニメを含め昔の作品なので、自慢より自戒の念を以って時々拝見していることが多かった。
 しかし、この「蝶の谷」は凄いと思った。子どもたち全員が、全身全霊を上げ生命を讃歌しているからだ。
 金賞をとれなかったようだが、私からすれば「ダイアモンド賞」の値打ちがあると思った。
 昔、小学校で子どもが「演歌を歌っている」と言われたことがあった。文句があると言うより、音楽室から漏れる歌声に、意外な響に先生がたや街の人びとは驚いたのかもしれない。もうこの曲が再現される時代ではないだろう。しかしこの合唱団による合唱の領域は確実に拡げていただいたと思っている。
 合唱団の人びとは、現在 40歳前後になられたでしょう。どんな蝶の谷を経験されて、その後の音楽観にどう影響されたのか、一度お伺いしてみたい気がしている。

「獅子の時代」タイトル編曲

 Youtubeで NHK大河ドラマのテーマ曲を見聞きすることができる。私がお手伝いさせていただいた‘80年放映「獅子の時代」は、ロックバンドと N響が初めてコラボした演奏と評価されていた。

  ‘ 79年秋、私はギリシャのヘロドアティコで、国際現代音楽祭入選作品のオーケストラ作品の初演に立ち合い、帰国後直ぐに紹介された仕事だった。
 ロックバンドの演奏は出来ていた。リズムと主旋律、ベース・ギターを含むコードも完成していた。普通はそれがバンドの作品サンプルで、バンドとオーケストラが同時に演奏して完成させるものだと誰もが思ったが、そのバンド演奏にオーケストラが後で加わり、同時に演奏した作品にする、という企画だった。そこで「三管編成※」のオーケストラとポップスができるひと、ということで私に役が回って来たようだった。

 ベースはボレロだった。ところがポップスのひとが感じるノリとクラシックのひととは違うところに戸惑いがあった。オーケストラのメンバーが合わせてくれた。
 ベースから各楽器の対旋律まで全部の楽器が良く鳴るように私は書き加えた。そして幾つかのポイントは、編集ボタンの瞬間操作でミックスした。失敗したら第一回の放映に間に合わなくなる、というスリルのなかで(故)小松一彦氏・楽団全員・音声(技術)さんの一致団結で完成させた・・・45年前のことを思い出させてくれた。

 ※「三管編成」=古典派時代の編成より管が基本三本ずつに増え、打楽器群・ハープなども加わった大規模なオーケストラ編成のこと

朗読の新次元

 私が公立文化施設の文化事業でアドバイスをした団体の育成で、最も成功したジャンルは「朗読」だった。音楽団体でないところが凄いと思った。
 越谷市の「パレット」という公民館からいくつもの団体・個人が飛び立って行った。

 この4月に、非公式ながら仲間が集い、その成果発表を20年ぶりに私に見せてくれた。中心的な人びとは滑舌や発声などの基礎レーニングを経た後は、AIに替われるような読み聞かせでなく、全身を使った身体表現を展開させ、聞く人びとを圧倒させていた。

 大体、朗読といっても基本はコミュニケーションだ。「読み聞かせ」とは妙な命名で、本当は「読み聞き合い」のはずだと私は思っていた。話の内容が、話し手は聞き手の心と交流し合いながら進んでいくものだからだ。落語の演者と聴者のコミュニケーションなど見事な空間を生み出している。
 朗読仲間は、演劇・音楽表現・パントマイムなど、あらゆるトレーニングに挑戦してきた。だから既成の朗読を知っている人びとは仰天するほど表現が豊かで驚かされる。

 この女性の朗読仲間の猛者は、以前東京である団体の芸術ステージ・オーディションに参加したことがあった。小さなステージではあるが、そして朗読用の本は手に持っているが、ステージ全体を使って表現していた。三名の審査員は、誰一人顔を上げることなく、困り切った顔をしていたが、出演した人びと全員が合格通知を受け取った。

 その後大きなステージの話を貰ったようだが断り、夜中の TV番組に呼ばれたりしたが調子に乗ることなく、自分たちの住む街の中でのボランティア活動に精力を傾けて来ていた。

 これぞ朗読、朗読だけでない地域文化の「新次元」だと、私は誇りに思っている。

サロンコンサート③

 サロンコンサートの成否の鍵は「開かれているか」どうかにある。プライベートな企画は資金の裏付けからして簡単明瞭だ。主宰者と客の関係で成果は決まる。

 医院の先生がポケットマネーで演奏家を集め、仲間や近所の人を集めて演奏会を開催した時期が松戸市であった。サロンコンサートといっても立派な音楽会だ。しかし主宰者と先生仲間、先生と演奏家は口をきくが、そこから会場の仲間と口をきくことは無かった。
 どんどんプライベート化していって、音楽を愛する仲間が増えることは無かった。

 大都市から離れた医療施設で、街の人びとが集まって音楽を楽しむスペースもあると聞いている。その主宰者は知っている先生だが、私は直接会場に伺ったことはないので、不確かなことは記せないでいるが、地域の人びとに愛されているということは、人びとの心も演奏する人びともパブリックなのだと思う。
 音楽の修行はプライベートな厳しさがあるが、人びとと共有する音楽のひろばでは、お金の問題は別にしてパブリックな心がないと拡がらないのが現実だとも思っている。

サロンコンサート②

 この頃、喫茶店や公共施設のロビー(市役所の昼休みのロビーなど)で演奏会が企画されることが多い。演奏者のお喋りも上手い。通りすがりの人が気楽に聴ける時代だ。私たちも東京タワーで、通りすがりの人びとも楽しめる演奏会を企画して来た。

 演奏家は、出来るだけ多くの人びとに聴いて欲しい。(ホントは)無料でもいい。しかしハナからタダで演奏しろ、と言われてはプライドがあって嫌だ。でもステージがあれば出たいし、褒めてもらいたい(拍手が何より嬉しい)・・・そこを理解して企画を進めていただければ、演奏者の、地域の財産になるのだが、結構演奏者との交渉は難しい。

 古民家でコンサートが開催される企画が全国の其処彼処で見受けられるようになった。観客の差し入れ・持ち寄りのお茶菓子で演奏の合間に人びとの交流が湧き上がる。

 静岡の古民家に伺ったことがあった。村の人びとが時間になると車で集まって来る。
音大関係の出身者が見事な声楽アンサンブルを聴かせる。一方、ピアノを習って半年だという体育の先生が間違え、止まりながらも引き続ける。終わると暖かい拍手に包まれる。主宰の好調(校長?)先生が得々と喋る。奇妙な手作りコンサートに出会った。これも地域文化の振興なのだろうと思った。

 音楽を学んだ人びとは、数名の聴衆から始めたこの種のコンサートが、自身の音楽活動の原点になっていることが良く見受けられる。そこに秘密があるのだろう。

サロン・コンサート①

 昭和の時代、1960年頃に早大の教授夫妻が企画した「サロンコンサート」が話題になった。音楽のあるサロンでの社交の場でもあった。しかも鹿鳴館の交流とは違った、音楽による仲間同士の広場を提供していたようだ。

 そのひろばに音楽を社会で活かし合う原点があったように私は思った。
リサイタルと称して、何十、何百人も集めなくていい。少ない人数でも、音楽を聴き、仲間と語り合う一時を持つ。その流れから、人びとがつながっていくからだ。

 音楽家がサロンや何処か開放的な空間で演奏する機会はこの頃増えた。駅やホテル、文化施設のロビー、公共施設の一角など、地域に合った小さなコンサートが増えてきた。ポップスの路上演奏会は昔からあった。クラシック音楽が「聴かせる」音楽から、聴衆と「つくり合える」手立てを講じていれば、もっと身近になっただろうが、どうしても「聴かせたい」訓練を受けてきた人びとには、音楽を生かした社会での聴衆も参加できる「即興」が入り込む余地はなく、壁が残ってきてしまったようだ。
 突然、音楽に参加しろ、と言っても無理なことだ。誰でも情報や経験がないと提案にはのれないものだから。そこで小学校などで「音楽づくり」などの機会や時間がある。そこから音楽家が自分の世界に誘える創造の場への機会や提案があれば、音楽家がもっとこの種の「ひろば」から文化の創造へとつながって行っただろうに、と私は思ってきた。

音大卒生の行方

 45年前に音楽雑誌に私が書いた内容は今も変わっていないようだ。


 四年制音楽大学だけでなく、専門学校、短期大学を含めると、年間1万人以上の人びとが音楽を得意とした職業につくことが可能な学習を得ている。ところがほんの一部の人を除いて、それを生かすことなく卒業後は特技を眠らせたママの生活をしている。
 音大の教育の柱は、優れた次世代を担う人材育成である。その核がピアノ・声楽・器楽の演奏に於ける、より優れたステージを目指すことが根底にある。勝ち抜き戦を生き抜いたチャンピオンを目指していて、その他は学校や自宅での教職に役立てる以外なかなか活躍の場が見出せないでいる。

 四半世紀前ごろから、アートマネジメントなどを通して音楽を社会で活かす術が湧き起こってきた。その道の専門家が指導して、卒業生も成果は上げてきたように思われたが、学生が育ててもらう段階で、どう音楽も社会もつくられていて、それを活かすことが出来るかという手立てが弱いママ就職に応用しようとしたため、出口(就職先)も少なく、悪戦苦闘することになったようだ。音楽専門の指導者が旧泰然とした教科に添ったレッスンが中心だったから、無理があったと言える。

 教えるということは、自分が学び、理解し納得したなかから次世代に伝えることから始まるし、師弟の人間関係も大切だから、枠を飛び出した応用は挑戦しづらいこともあっただろう。しかし時代や価値観、ニーズはドンドン変わって行くので、新たな創造的音楽活動と社会との結びつきを生み出さないと、異なる価値観の人びととの交流や認識が拡がっていかないように思われる。
 音楽も、社会も人間関係も平和も「つくる」という仕組みを根底に置いたシミュレーションは今も昔も変わらず必要だと私は思っている。

トゥーランガリラ交響曲

 アンサンブル《ヴェネラ》というアマチュア・オーケストラをご存知でしょうか?

 2014年に都内のアマチュア・オーケストラ奏者を中心に結成された演奏団体で、現代音楽作品を採り上げたプログラムで活躍している(ということを、今回私は初めて知った)。

 20世紀の名曲、  O・メシアンの「トゥーランガリア交響曲」を演奏するというので聴きに行った。アマチュアが80分に及ぶ大作・難曲を演奏するなんて、私の若い頃には想像もできなかった話だから、成果に対する期待は半信半疑だった。

 結論から言うと、凄まじい世界を展開させていた。プロとアマの差は何処にあるのか分からないほど、水準の高い演奏にまとめ上げていた。演奏者が音楽を分かって演奏していて、日本の音楽文化水準の高さを自慢する成果だったと思った。

 メシアンの孫弟子にあたる夏田昌和の指揮、ピアノの大須賀かおり、オンド・マルトノの大矢素子の演奏も素晴らしく、私にとっては、近年最高の名演のひとつとだと思った。

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